中華民国軍

南京防衛軍の状態と首都・南京の防衛体制

「南京大虐殺の現場へ」p84-85 南京防衛司令本部(司令長官・唐生智。副司令長官・羅卓英、劉興。参謀長・周斕。副参謀長・余念慈) 第2軍団(総指揮・徐源泉)(第41師(師長・丁治磐)、第48師(師長・徐継武)) 第66軍(軍長・葉肇)(第159師(師長・譚…

税警総団

「税警总团(publicanus vigilum legion)」 成立時は5個団と直属部隊で合わせて6000人の部隊であった。団(連隊)規模は通常よりも大きい。各班14名の兵士と軽機関銃一挺で編成され、6班で1排(小隊)を編成、3排で1連(中隊)を編成する。1連は252人となり…

孫元良の略歴

第二次上海事変で孫元良は精鋭部隊である第88師を率いて日本軍と戦った。閘北陣地を76日間にわたって堅守した。第88師は大きな損害を被り、何度も補充されたが最後には新兵しか補充されなくなっている。1937年10月26日に大場鎮が陥落。上海戦区からの撤退に…

一個歩兵師団の構成の日中比較

類別 日本 中国 人員 21945人 10923人 馬匹 5849頭 -- 歩騎兵銃 9476挺 3821挺 擲弾筒 576基 243基 軽機関銃 541挺 274挺 重機関銃 104挺 54挺 野山砲 64門 16門 連隊砲・大隊砲 44門 30門 戦車 24両 0 車両 262両 0 自動貨車 266両 0 馬車 555両 0 (『中国…

中国軍の死傷者数

戦死 戦傷 合計 1937 125,130 224,232 349,362 1938 249,213 485,804 735,017 1939 169,652 176,891 346,543 1940 339,530 333,838 673,368 1941 144,915 137,254 282,169 1942 87,719 114,180 201,899 1943 43,223 81,957 125,180 1944 102,917 103,596 206…

抗日戦争期間の省別徴兵数

省別 徴兵数 百分比 四川 2,578,810 18.4 河南 1,898,356 13.5 湖南 1,570,172 11.2 江西 947,722 6.7 広東 925,873 6.6 陝西 888,363 6.3 広西 808,046 5.8 湖北 691,195 4.9 貴州 580,416 4.1 安徽 563,673 4.0 その他 2,597,895 18.5 合計 14,050,521 100…

第68軍

編成の経緯 1938年4月 徐州会戦 1938年7月 武漢攻防戦 1939年5月 随棗会戦(襄東会戦) 1940年4月 棗宜会戦 1941年1月 豫南会戦 1945年3月 豫西鄂北会戦 編成時の軍長は劉汝明、後に弟の劉汝珍が就任(劉汝明は第68軍を麾下に持つ第2集団軍総司令に就任)

第一戦区の概略

1937年8月 河北省、山東省の日本軍に占領されていない地域を主要な戦区範囲として成立。戦区司令長官には当初、蒋介石が兼務したが第二次上海事変が激化すると蒋介石は第二次上海事変に専念せざるを得ず、戦区司令長官を程潜*1に交代する。 戦区麾下には、宋…

劉汝明と第68軍の戦い1

宋哲元の第29軍麾下として第143師を率い察哈爾省をおさえていた劉汝明は、北平陥落後の8月上旬、南口で北平からの日本軍と交戦する第13軍や第17軍とは別に、張家口の防衛と張北の奪回作戦を行っている。これと連動して騎兵第1軍(趙承綬)と第7集団軍(傳作…

第29軍の兵力

師団名 長 麾下 兵力 第37師 馮治安 4個旅(109旅、110旅、111旅、独立25旅)、特務団 約15750人 第38師 張自忠 4個旅(112旅、113旅、114旅、独立26旅)、特務団 約15400人 第132師 趙登禹 3個旅(1旅、2旅、独立27旅、独立28旅)、特務団 約15000人 第143…

1936年当時の中国軍の状況

師、旅数 人数 中央軍(傍系含む) 67個師、20個独立旅、騎兵7個旅 約79万3千人 旧東北軍(雑軍含む) 27個師、騎兵6個師、砲兵3個旅 約22万人 山西軍 8個師、3個独立旅、騎兵3個旅 約6万5千人 山東軍 5個師、騎兵1個旅 約6万人 第19路軍 3個師、2個独立旅、…

標準的な正規軍1個師の武器別運用人員

孫宅魏資料より - 運用人員 人員 10923人 - - 小銃 3821挺 × 1人 3821人 擲弾筒 243個 × 3人 729人 軽機関銃 274挺 ×12人 3288人 重機関銃 54挺 ×20人 1080人 榴弾砲・野山砲 16門 ×30人 480人 連隊砲・大隊砲 30門 ×30人 900人 その他*1 - - 625人 擲弾筒、…

繆澂流第57軍と魯蘇遊撃戦区

繆澂流(繆澄流)(1901-1990)は張学良の東北軍系の軍人で、第二次上海事変時は羅卓英の第15集団軍麾下で第57軍(第111師、第112師)を率いた。しかしこの時の第57軍は長江北岸の江蘇省北部に展開したため、主戦場には加わっていない。ただし、上海戦から南…

傳作義の経歴2

1927年初め、北伐を開始した国民革命軍は、呉佩孚や孫伝芳、張宗昌の軍をことごとく破り北上した。 1927年4月には国民政府内の内紛から北伐が一時中断したものの7月には国民政府から共産党を排した上で蒋介石の主導権が確立し北伐を再開、これを見た閻錫山は…

傳作義の経歴1

「伝作義」とも。また日本語読みは「ふさくぎ」が多いが「でんさくぎ」という読み方もされる。「傳」は中国語的には「フー」とも「チュエン」とも読むらしい。傳作義は山西省の出身で1895年に生まれている。 1910年に太原陸軍小学で孫文思想の影響を受け、直…