2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

児島襄による第一次山海関事件の記述

第一次山海関事件について記述した資料はあまり見当たらない。 児島襄の「日中戦争2」でもわずかに以下の記述があるのみである。 山海関では、じつは前年*1の十月一日に、「天下第一関」の扁額をかかげた城門に日本側警察隊員がのぼって射殺された事件、十…

第三次山海関事件についての記述

1933(昭和8)年 山海関事件。 山海関守備隊長落合甚九郎少佐謀略。山海関憲兵分遣隊裏庭、日本守備隊派出所前鉄道線路上に手榴弾投擲。3日、夜明け、陸海軍協同攻撃。午後2時、山海関占領。張学良・何桂国に陳謝及び山海関の緩衝地帯化を要求。山海関(万里…

第二次山海関事件の概略

「山海関事件」は、1933年1月1日に起きた日本軍第8師団による山海関占領事件*1がよく知られているが、これは第三次山海関事件とされる。 昭和七年十月一日、山海関において、満州国国境警察隊員と中国軍兵士との間で紛争が起こった(第一次山海関事件)。こ…

第一次張北事件に関する陸軍省の主張

陸軍省新聞班が1935年7月30日に発行した「北支事件及宋哲元軍不法事件に就て」に第一次張北事件の記述がある*1。 二 第一次張北事件 昨昭和九年十月、支那駐屯軍の幕僚*2及領事館員等数名は、内蒙地方の旅行を企図し、護照*3等を準備したる上旅行先各地出先…

通州事件に言及した書籍

通州事件は、1937年11月29日午前2〜4時*1から開始された冀東防共自治政府*2所属の保安隊の反乱に伴い発生した通州在住の日本人・朝鮮人に対する暴行・殺傷事件である。 歴史修正主義者の中村粲や東中野修道によって未だに反中プロパガンダとして利用されてい…

「東京兵団」における綏遠事件の記述

畠山清行の「東京兵団 上」(光風社書店、昭和53年8月30日発行、P74-75)には、綏遠事件の記述がある。 昭和十一年十一月、関東軍の田中隆吉参謀は、兵を率いて(これは正規の軍ではなかった。在郷志士や、満鉄社員なども、相当加わっていたようだが・・・)…

大山事件に対する石射猪太郎の感想

1937年8月10日の石射猪太郎日記に以下の記載がある。 8月10日 ○川越大使高宗武と会見、打診したのはよけれども船津を阻止して高との話をはぐらかしてしまったのは誠に遺憾だ。スキを見せねば打ち込んでこぬ、その工作のためにやった船津だったのに。 ○昨…

クロード・ファレールの「アジアの悲劇」に記載された大山事件

歴史修正主義者である東中野修道が「南京「虐殺」研究の最前線」で、南京大虐殺否定論に利用したクロード・ファレールの記述であるが、同様の記述は「アジアの悲劇」(1939年訳)にも存在する。 東中野修道が利用した東亜同文会調査編纂部の雑誌「支那」は、…

蒋介石秘録に記載された南京事件

1976年にサンケイ出版から出版された「蒋介石秘録12日中全面戦争」は、出版の前年1975年に死去した蒋介石の伝記である。蒋介石の自述などを基に構成されている。 出版の目的としては、日本国内における反中プロパガンダが考えられる。国連での代表権を失い…

東北地方の国民党軍・共産党軍の対峙

岩村三千夫の「中国革命史」(青年出版社、1968年11月30日初版、1973年4月30日第2版)に以下の記載がある。 ところが国民党は、四六年三月はじめにソ連軍が瀋陽*1から撤退すると、まっていたとばかりに瀋陽とその周辺を占領し、四月はじめまでに約二八万の大軍…

大山勇夫中尉事件は死を覚悟した挑発行動?

こういう話がある。 開会挨拶をした早稲田九条の会代表委員武藤徹さん( 83歳・元都立戸山高校数学教師)は東京帝國大学数学科1年生の時、陸軍参謀本部第三部(情報担当)が疎開した長野県下諏訪に勤労動員学徒として昭和20年5月3日から8月15日ま…

クロード・ファレールによる大山事件「証言」の誤り

クロード・ファレールが大山事件の現場を取材していないことは以前指摘したとおり。クロード・ファレールは大山事件から6ヶ月後に来日し、日本政府の計らいで1938年の朝鮮・満州・中国を訪問している。 著名な作家を招待し、大名旅行で接待し、日本の正当性…

大山勇夫中尉と斉藤与蔵一等水兵の死体検案書と死亡時の状況

大山事件の翌1937年8月10日に、日本海軍軍医少佐有馬玄と中国の法医学者孫達方が作成したと言う死体検案書が、児島襄の「日中戦争」に記載されている*1。 一、死亡者の氏名 大山勇夫 一、死亡の原因 他殺 (頭蓋骨粉砕骨折、左前胸部刺殺傷、左前胸部射傷、…

クロード・ファレールの略歴

葦書房より1991年に発行された「戦闘 La Bataille」の訳者である野口錚一による解説にクロード・ファレールの略歴が載っている。*1 ファレルの生涯 クロード・ファレル、本名フレデリック・シャルル・ボルゴーヌ Frèdèric Charle Borgoneは一八七六年フラン…