華北分離工作

支那駐屯軍の増兵

1936年4月、日本軍はそれまで歩兵10個中隊(北京:2個、天津:8個)、砲兵1個中隊、工兵1個小隊の約1770人だった支那駐屯軍の兵力を約3倍に増強することを決定した。日本軍にとっては、中央を無視する傾向の強い関東軍の華北工作を牽制するため支那駐屯軍を…

「東京兵団」における綏遠事件の記述

畠山清行の「東京兵団 上」(光風社書店、昭和53年8月30日発行、P74-75)には、綏遠事件の記述がある。 昭和十一年十一月、関東軍の田中隆吉参謀は、兵を率いて(これは正規の軍ではなかった。在郷志士や、満鉄社員なども、相当加わっていたようだが・・・)…

第1次張北事件と宋哲元の立場

日本軍が熱河省を占領した1933年5月、遠く南京にあった蒋介石は抗日を先延ばしし、何応欽を通じて日本軍との停戦協定を結んだ。塘沽停戦協定である。 華北の民衆の抗日意識は高まり北方軍閥の諸将領も抗日の覚悟を決めつつあったが、蒋介石の国民政府の支援…