「東京兵団」における綏遠事件の記述

畠山清行の「東京兵団 上」(光風社書店、昭和53年8月30日発行、P74-75)には、綏遠事件の記述がある。

 昭和十一年十一月、関東軍の田中隆吉参謀は、兵を率いて(これは正規の軍ではなかった。在郷志士や、満鉄社員なども、相当加わっていたようだが・・・)救援に赴いたから、勢いづいた徳王軍は『反共自治』の旗をかかげて、傳作義軍に一戦をいどんだのである。
 ところが戦い利あらず、まことにみじめな惨敗を喫した。田中隆吉が北京に帰った時は、ちょうど西安事件が突発した時だから『内外多事の秋、徒らに内蒙に事を起すべきではない。よって軍をひく』というような声明を徳王の名で出したのである。
 これは、綏遠事件を徳王軍だけの行為のようにみせ、西安事件を利用して立場を糊塗しようという田中の肚だったろうが、日本人の加わっていたことは傳作義軍にも知れているのだから、そんな声明で取消しのきくはずはない。
 勇猛果敢な関東軍を撃破したというので、傳作義軍の株があがると同時に『傳作義軍に敗れるなら、関東軍もカラ威張りだけで大したことはない』という侮日感情を、一般中国人に植えつけるまずい結果となったのである。