2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

第一次張北事件の概要

1933年5月31日の塘沽停戦協定以降も察哈爾省と熱河省の境界は不明瞭であったため、満州国軍・関東軍と宋哲元軍との間で小規模な衝突が頻発していた。このため、察哈爾省中心部の張家口と張北は宋哲元率いる第29軍によって厳重に警戒されていた。1934年10月27…

1935年から1936年における主な満蒙ソ国境紛争

日時 事件名 場所 概要 1935年 1月 8日〜 1月28日 ハルハ廟事件 ボイル湖北方 日本軍と外蒙古軍の衝突 1935年 6月 3日 楊木林子事件 東部国境 日本軍斥候とソ連国境警備兵の衝突 1935年 6月23日 ホルステン河事件 ハルハ河支流 外蒙古軍が日本軍測量隊を逮捕…

第1次張北事件と宋哲元の立場

日本軍が熱河省を占領した1933年5月、遠く南京にあった蒋介石は抗日を先延ばしし、何応欽を通じて日本軍との停戦協定を結んだ。塘沽停戦協定である。 華北の民衆の抗日意識は高まり北方軍閥の諸将領も抗日の覚悟を決めつつあったが、蒋介石の国民政府の支援…

1931年ころの綏遠省の状況

綏遠省は現在では内モンゴル自治区の一部となっている。 内モンゴル(内蒙古)地方は清朝時代前半、蒙古人の土地とされ、開墾が禁止されていた(蒙地開墾禁止政策)が、雍正帝治下の1724年には漢人農民による内蒙古の放牧地開墾が許可されている。これを「借…

傳作義の経歴2

1927年初め、北伐を開始した国民革命軍は、呉佩孚や孫伝芳、張宗昌の軍をことごとく破り北上した。 1927年4月には国民政府内の内紛から北伐が一時中断したものの7月には国民政府から共産党を排した上で蒋介石の主導権が確立し北伐を再開、これを見た閻錫山は…

傳作義の経歴1

「伝作義」とも。また日本語読みは「ふさくぎ」が多いが「でんさくぎ」という読み方もされる。「傳」は中国語的には「フー」とも「チュエン」とも読むらしい。傳作義は山西省の出身で1895年に生まれている。 1910年に太原陸軍小学で孫文思想の影響を受け、直…