クロード・ファレールによる大山事件「証言」の誤り

クロード・ファレールが大山事件の現場を取材していないことは以前指摘したとおり。クロード・ファレールは大山事件から6ヶ月後に来日し、日本政府の計らいで1938年の朝鮮・満州・中国を訪問している。
著名な作家を招待し、大名旅行で接待し、日本の正当性や成果を吹き込む典型的な宣伝工作の一環である。元々、親日反共傾向のあったクロード・ファレールは簡単に篭絡され、フランスにおける親日プロパガンダの担い手となった。
クロード・ファレールはこの接待旅行の記録を、Le grand drame de l'Asieにまとめており、一部記事は日本語に翻訳され東亜同文会調査編纂部から出版されていた雑誌「支那」昭和13年9月号(29巻9号)に掲載された。これがネット上で大量に流布されている「支那紀行」と呼ばれる記事である。これが歴史修正主義者・東中野修道*1により利用され、「南京「虐殺」研究の最前線」などに掲載された。東亜同文会調査編纂部の雑誌「支那」は70年も前のものであり、一般にはまず手に入らず、一部の大学図書館に残っている程度*2だったが、東中野修道が再掲載したことにより、70年前の大日本帝国政府によるプロパガンダが甦り、ネット上で爆発的に引用されることになった。

例えば、以下の「真実の証言」なるネトウヨサイトでこのように引用されている。

クロード・ファレール 「支那紀行」より

日本軍は驚嘆すべき冷静さを持していた。彼等は最も優秀なローマの警官の教える所を実行したのである。彼等は自動車にも死骸(大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵)にも決して手を触れなかった。彼等は上海の支那人の市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなくその人々はやって来た。人々は事件の検証を行った。

中国兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横たわっていた。しかし、その実地検証は、なんの異議もはさまれることなく、次のような事実を確認した。すなわち、この男は可愛そうにその同僚(中国兵)から自動拳銃によって、背後から、射撃されたのであって、その後、その日本人暗殺に対して争闘のような色彩を与える位置にひいて行かれたのであった。

http://www10.plala.or.jp/yosioka/syougen.htm

「クロード・ファレール 「支那紀行」より」とだけ記載してあるが、これでは引用元が特定できない。このネトウヨサイトの管理人*3東亜同文会の「支那」原本はもちろん、おそらく東中野修道の本すら直接見てはいないだろう。掲示板などで拾ってきた程度だと思われ、孫引き以下であろう。

いわゆるクロード・ファレール「証言」の検証

クロード・ファレールによる大山事件関連の記述は、1938年の来日および日本政府による朝鮮・満州・中国への接待旅行の際に日本側から聞いた内容が基となっている。それも直接の関係者ですらなかったようで、新聞記事や日本側で流布されている噂程度の内容をまとめて、ファレールなりの解釈を加えた極めて資料性の乏しい記述である。

彼等*4は自動車にも死骸*5にも決して手を触れなかった。

まず、ここから間違っている。事件当日、19時ごろに中国側当局から連絡を受けた日本軍側は沖野武官と重村武官を現地に向かわせ、大山中尉の死体を確認しているが、この時点では斉藤一水は行方不明であったし、両武官とも現場でじっと待っていたわけではない。両武官は一度戻り、夜中12時過ぎに改めて大人数で大山・斉藤両名の遺体引取りに来ているが、この時は工部局関係者まで日本人であった。遺体引取りに来ている以上、「決して手を触れなかった」ということもなく、8月10日3時ごろに遺体を引き取っている。

彼等は上海の支那人の市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなくその人々はやって来た。人々は事件の検証を行った。

ここも間違っている。上海市長の兪鴻鈞は事件発生後、日本側とのやり取りに忙殺され現場には行っていない*6上海市政府からは秘書の張廷栄*7が「英仏米の官憲を招致」というのも間違っている。確かに租界工部局警察からも副総監が来ているが、上原蕃という日本人副総監であり「英仏米の官憲」ではない。

中国兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横たわっていた。

これも事実と異なる。死亡した保安隊兵士時景哲の死体はこの時点で現場にはない。常識的に考えて、大山勇夫に射撃され倒れた時景哲は、仲間の保安隊兵士によって救護所ないし病院に運ばれたが、ほぼ即死の状態で、そのまま安置所などに運ばれたのだろう。時景哲の遺体は8月11日に真如にある中国側の真如司令部法医学研究所で司法解剖が行われている。

しかし、その実地検証は、なんの異議もはさまれることなく、次のような事実を確認した。すなわち、この男は可愛そうにその同僚(中国兵)から自動拳銃によって、背後から、射撃されたのであって、その後、その日本人暗殺に対して争闘のような色彩を与える位置にひいて行かれたのであった。

保安隊兵士時景哲の死体はこの時点で現場になかったことは上述。日本側はその点を難詰したが言いがかりでしかなく、10日の現場検証で保安隊兵士が日本側に撃たれたという主張を否定できる根拠は得られていない。同士討ちという主張は日本側の一方的な憶断でしかなく、中国側はもちろん租界側でもそれに同意したという記録は見当たらない。なお、8月11日の保安隊兵士時景哲の司法解剖で摘出された弾丸について、日本側は小銃弾であり中国側の同士討ちだと主張したが、中国側および租界側がそれを認めたという記録も見当たらない。
クロード・ファレールの記載は、日本側主張を伝聞で聞いた上で再構成したものであって事実とは程遠い内容である。

いわゆるクロード・ファレール「証言」は大山事件に関し、基本的な事実ですら誤っており証拠能力としては著しく低いといわざるを得ない。
なお、東中野修道はこの信憑性の低いクロード・ファレールの記事を根拠に大山事件が中国側に「仕組まれた」と低級な政治プロパガンダを繰り返している。

*1:南京事件関連裁判で、東中野南京大虐殺否定論は「学問研究の名に値しない」と裁判官から非難されている。

*2:ネット上で調べた限り所蔵しているのは拓殖大学図書館しか見当たらない。

*3:この管理人はトレヴェニアンの小説「シブミ」の記述についても、何の根拠もなく歴史的事実に忠実だと評しているが、これも東中野修道同様の歴史修正主義者である渡部昇一の受け売りに過ぎない。ちなみに「シブミ」は日本人を主役としたスパイ小説であって、主人公が1930年代の上海にいたことが主人公の幼少時代を語る重要な場面になっている。日本的な渋みを持つ日本人主人公に対して読者に好感を持たせるための描写が優先されているためか、日本軍の非人道行為については触れられておらず、歴史的事実に関連する記述も少ない。「007」のような娯楽スパイ小説と読むべきで、これを根拠に歴史問題の主張をするのは間の抜けた話と言わざるを得ない。

*4:日本軍

*5:大山中尉と齋藤一水

*6:事件現場の虹橋飛行場から見て、上海市政府の位置は日本海軍陸戦隊本部よりも遠い。

*7:張定栄との記述もある。