蒋介石秘録に記載された南京事件

1976年にサンケイ出版から出版された「蒋介石秘録12日中全面戦争」は、出版の前年1975年に死去した蒋介石の伝記である。蒋介石の自述などを基に構成されている。
出版の目的としては、日本国内における反中プロパガンダが考えられる。国連での代表権を失い日本からも断交された台湾の中華民国国民党政府にとって日本国内に巡らせたロビー勢力を用いて、中華人民共和国に対する反感を日本国内で広める事は重要な目的であった。
なお、産経新聞の「蒋介石秘録」以前の1957年に、毎日新聞からは「中国のなかのソ連 蒋介石回顧録」が出されており、中華人民共和国との国交が成立しない状況もあって露骨な反ソ・反中共で貫かれている。

さて、「蒋介石秘録」には、南京事件にかかわる記述がP69-70に書かれている。

 南京防衛戦における中国軍の死傷者は六千人を超えた。
 しかし、より以上の悲劇が日本軍占領後に起きた。いわゆる南京大虐殺である。

全世界を震え上がらせた蛮行
 日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長江(揚子江)岸に整列させた、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
 虐殺の対象は軍隊だけではなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千人の婦人が、大型トラックで運び出され、暴行のあと、殺害された。
 日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、日本の新聞に大きく報道された。
 虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中にうめ、軍用犬に襲いかからせる”犬食の刑”、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる”鯉釣り”、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火のなかに放りこむ”ブタの丸焼き”−など、など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。
 こうした戦闘員は・非戦闘員は、老幼男女を問わない大量虐殺は二ヵ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。
倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。
 それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ』(一九三八年一月二十二日の日記)
 南京に住む外国人たちで組織された難民救済のための国際委員会は、日本軍第六師団長・谷寿夫にたいし、放火、略奪、暴行、殺人など計百十三件の具体的事例を指摘して、前後十二回にわたって厳重な抗議を提出したが、谷寿夫は一顧だにしないばかりか、逆に、血塗られた南京の状況を映画やフィルムに収め、日本軍の”戦果”としてほめたたえたのである。