南京攻防戦

南京大虐殺時の日本軍第16師団

盧溝橋事件勃発当時の第16師団は4個歩兵連隊で構成される四単位師団であり、師団長は中島今朝吾寿夫中将であった。 隷下の歩兵連隊は、歩兵第9連隊(京都)、歩兵第20連隊(福知山)、歩兵第33連隊(津)、歩兵第38連隊(奈良)である。歩兵第19旅団(長:草…

南京大虐殺時の日本軍第6師団

盧溝橋事件勃発当時の第6師団は、4個歩兵連隊で構成される四単位師団であり、師団長は谷寿夫中将であった(在任:1935/12/2~1937/12/28)。 隷下の歩兵連隊は、歩兵第13連隊(熊本)、歩兵第23連隊(都城)、歩兵第45連隊(鹿児島)、歩兵第47連隊(大分)…

南京防衛軍の状態と首都・南京の防衛体制

「南京大虐殺の現場へ」p84-85 南京防衛司令本部(司令長官・唐生智。副司令長官・羅卓英、劉興。参謀長・周斕。副参謀長・余念慈) 第2軍団(総指揮・徐源泉)(第41師(師長・丁治磐)、第48師(師長・徐継武)) 第66軍(軍長・葉肇)(第159師(師長・譚…

南京大虐殺とはどういう事件だったか

1937年12月13日、侵攻してきた日本軍の攻撃により中華民国の首都・南京が陥落した。 南京防衛軍は崩壊し一部の部隊が日本軍の包囲網を破っての撤退に成功したが、多くは壊滅した。 南京の中国軍防衛線は南京城の城壁を最終的な防衛ラインとし、それを城外の…

第八話 南京防衛戦

第八話 南京防衛戦 2014-09-16 17:11:33 日本軍は上海を占領した後、中国の抵抗に"懲罰"を加えるため、当時中国の首都だった南京への攻撃を決めた。1937年12月1日、日本軍大本営は「大陸第8号令」を下し、華中方面軍が海軍と合同して3つのルートに分かれて南…