劉汝明と第68軍の戦い1

宋哲元の第29軍麾下として第143師を率い察哈爾省をおさえていた劉汝明は、北平陥落後の8月上旬、南口で北平からの日本軍と交戦する第13軍や第17軍とは別に、張家口の防衛と張北の奪回作戦を行っている。これと連動して騎兵第1軍(趙承綬)と第7集団軍(傳作義)が商都を奪取している(1937年8月上旬)。
傳作義、趙承綬、劉汝明らの攻勢は8月17日まで優勢に進んだが、19日から日本軍が航空機を含めた反撃を強め、8月26日には張家口が陥落する。平綏*1鉄道を分断された結果、南口からも中国軍は撤退し、劉汝明は北平から撤退してきた独立第27旅と第119師(元第143師の第1旅旅長の李金田を師長とした)をあわせて第68軍を編成した(9月6日*2、軍長には8月31日に就任、第1集団軍(第29軍を格上げ)麾下。)。劉汝明は第68軍を率い、張家口から南方にある蔚県に向けて撤退した。
傳作義らはこの後、山西省の攻防戦へと続いていくが、劉汝明は河北省へと南下したため山西省の戦いには参加していない。
河北省に撤退した第68軍は、その後も後退を続け徐州付近で戦力を整え、1938年の徐州会戦で再び日本軍と対峙することになる。