「心理作戦班日本人捕虜尋問報告四九号」にある慰安婦らの連行時点での年齢

「心理作戦班日本人捕虜尋問報告四九号」には捕虜となった慰安婦に関する以下の情報がある。

付録A
 以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた二○人の朝鮮人慰安婦」と日本人民間人二人の名前である。朝鮮人名は音読みで表記している。
    名  年齢   住 所
 1 「S」 二一歳 慶尚南道晋州
 2 「K」 二八歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕
 3 「P」 二六歳 慶尚南道晋州
 4 「C」 二一歳 慶尚北道大邱
 5 「C」 二七歳 慶尚南道晋州
 6 「K」 二五歳 慶尚北道大邱
 7 「K」 一九歳 慶尚北道大邱
 8 「K」 二五歳 慶尚南道釜山
 9 「K」 二一歳 慶尚南道クンボク
 10 「K」 二二歳 慶尚南道大邱
 11 「K」 二六歳 慶尚南道晋州
 12 「P」 二七歳 慶尚南道晋州              
 13 「C」 二一歳 慶尚南道(ママ)慶山郡〔以下略〕
 14 「K」 二一歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕
 15 「Y」 三一歳 平安南道平壌
 16 「O」 二○歳 平安南道平壌
 17 「K」 二○歳 京畿道京城
 18 「H」 二一歳 京畿道京城
 19 「O」 二○歳 慶尚北道大邱
 20 「K」 二一歳 全羅南道光州
日本人民間人
 1 キタムラトミコ 三八歳 京畿道京城
 2 キタムラエイブン 四一歳 京畿道京城

http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20121001/1363709318

尋問されたのは1944年8月20日~9月10日。慰安婦らが連れ去られてきたのは1942年5月初旬~8月20日頃。
慰安婦らが連行されてきた時期から尋問されるまで2年から2年4か月が経過している。



イニシャル 尋問時年齢 連行時年齢
「S」 二一歳 19歳
「K」 二八歳 26歳
「P」 二六歳 24歳
「C」 二一歳 19歳
「C」 二七歳 25歳
「K」 二五歳 23歳
「K」 一九歳 17歳
「K」 二五歳 23歳
「K」 二一歳 19歳
10 「K」 二二歳 20歳
11 「K」 二六歳 24歳
12 「P」 二七歳 25歳
13 「C」 二一歳 19歳
14 「K」 二一歳 19歳
15 「Y」 三一歳 29歳
16 「O」 二○歳 18歳
17 「K」 二○歳 18歳
18 「H」 二一歳 19歳
19 「O」 二○歳 18歳
20 「K」 二一歳 19歳

連行時点での未成年者(20歳未満)は過半数の11名。最年少は17歳。平均年齢は21.15歳。これが数え年であれば、満年齢では1~2歳さらに減らす必要がある。
書くまでもない話だが産経新聞が悪質な印象操作をしているので改めて記した。

 実際、米軍が昭和19(1944)年、ビルマ(現ミャンマー)で捕らえた朝鮮人慰安婦から聞き取り調査して作成した報告書によると、調査対象となった女性20人の平均年齢は23歳で、最年少は19歳が1人いるだけだった。ただ、韓国側はこうした事実関係を無視し、慰安婦の「性奴隷説」や「20万人説」を国際社会で流布し続けてきた。*1

http://www.sankei.com/politics/news/170111/plt1701110027-n1.html

この産経記事はすべて尋問時の年齢で、数え年かどうかの判断もしていない。

*1:【釜山・慰安婦像設置】慰安婦像は少女像にあらず 菅義偉官房長官「問題視しているのは慰安婦像」(2017.1.11 18:59)