第二次上海事変

日本軍第13師団の損害

1937年10月7日~11月1日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111760800、第13師団上海附近の会戦 戦闘詳報 昭和12年10月7日~12年11月1日(防衛省防衛研究所)」 戦闘参加 死 傷 生死不明 将校 准士官・下士官兵 馬匹 将校 准士官・下士官兵 …

第二次上海事変(2)

1937年8月23日未明、上海で戦闘中の日本海軍陸戦隊から一部隊を割いて雲陽丸、当陽丸、信陽丸と護衛艦で黄浦江を下り、呉淞埠頭に横付け上陸を試みた。しかし、中国軍から激しい銃撃を受けたため艦砲射撃と軽機関銃と曲射砲によって応戦、岸壁付近の建物に火…

「加賀」は日中戦争初戦で南京等を空爆した艦載機が発艦した空母

ヘリ護衛艦「かが」就役4隻態勢 対中潜水艦戦に威力 米戦闘機発着も可能(産経新聞 3/23(木) 7:55配信 )自衛隊の四隻目のヘリ空母「かが」が就役し対中国関連で強調されている。 しかし中国側が「かが」を警戒するのは、現在の日本の対中政策に対してだけ…

上海・大山勇夫海軍中尉遭難事件(虹橋飛行場事件)の概略

1937年8月9日夕刻、上海郊外の虹橋飛行場正門前で大山勇夫海軍中尉が中国保安隊によって射殺された。大山事件という。 日本側は中国側に対し強硬に抗議し軍艦を上海に派遣して威嚇、結果として第二次上海事変が勃発するに至るが、中国側では日本軍将校が虹橋…

上海大山中尉射殺事件の日本以外での報道2

日本国内不発表 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023890400、各種情報資料・北支事変関係情報綴(国立公文書館)」 情報委員会八・一一 情報第三号 大山事件と仏紙論調 ―同盟来電(不発表)―パリ十日発電 北支事変に対するパリ新聞の興味は茲二、三日以…

第二話 八一三淞滬会戦

第二話 八一三淞滬会戦 2014/9/10 15:40 七・七事変(盧溝橋事変)発生後、日本海軍が再び上海地区で挑発・挑戦した。1937年8月9日、大山勇夫海軍中尉など二人が車に乗って上海虹橋空港に乱入して挑発したため、駐屯する軍隊の保安隊に射殺された。日本軍は…

渡洋爆撃・第二次上海事変における日本軍機の損害

1937年8月14日 この日、上海方面は台風による悪天候。 所属 離陸地 指揮官 機種 出撃機数 攻撃目標 実際の攻撃 損害 鹿屋航空隊 台北 新田慎一少佐 96式陸攻 9機 杭州 杭州 ※ 鹿屋航空隊 台北 浅野楠太郎少佐 96式陸攻 9機 広徳 筧橋、喬司 ※ ※:新田隊、浅…

南京路事件(1937年12月3日)

上海が陥落して約一ヵ月後、日本陸軍は上海租界内で示威行進を強行した。アメリカは租界内での行進を止めるよう外交ルートで日本に求めたが松井石根軍司令官の強い希望により斥けられた。参考:クロード・ファレールの「アジアの悲劇」に記載された大山事件…

大山事件に対する石射猪太郎の感想

1937年8月10日の石射猪太郎日記に以下の記載がある。 8月10日 ○川越大使高宗武と会見、打診したのはよけれども船津を阻止して高との話をはぐらかしてしまったのは誠に遺憾だ。スキを見せねば打ち込んでこぬ、その工作のためにやった船津だったのに。 ○昨…

クロード・ファレールの「アジアの悲劇」に記載された大山事件

歴史修正主義者である東中野修道が「南京「虐殺」研究の最前線」で、南京大虐殺否定論に利用したクロード・ファレールの記述であるが、同様の記述は「アジアの悲劇」(1939年訳)にも存在する。 東中野修道が利用した東亜同文会調査編纂部の雑誌「支那」は、…

大山勇夫中尉事件は死を覚悟した挑発行動?

こういう話がある。 開会挨拶をした早稲田九条の会代表委員武藤徹さん( 83歳・元都立戸山高校数学教師)は東京帝國大学数学科1年生の時、陸軍参謀本部第三部(情報担当)が疎開した長野県下諏訪に勤労動員学徒として昭和20年5月3日から8月15日ま…

クロード・ファレールによる大山事件「証言」の誤り

クロード・ファレールが大山事件の現場を取材していないことは以前指摘したとおり。クロード・ファレールは大山事件から6ヶ月後に来日し、日本政府の計らいで1938年の朝鮮・満州・中国を訪問している。 著名な作家を招待し、大名旅行で接待し、日本の正当性…

大山勇夫中尉と斉藤与蔵一等水兵の死体検案書と死亡時の状況

大山事件の翌1937年8月10日に、日本海軍軍医少佐有馬玄と中国の法医学者孫達方が作成したと言う死体検案書が、児島襄の「日中戦争」に記載されている*1。 一、死亡者の氏名 大山勇夫 一、死亡の原因 他殺 (頭蓋骨粉砕骨折、左前胸部刺殺傷、左前胸部射傷、…

大山事件発生時にクロード・ファレールは上海にはいなかった

歴史修正主義者である東中野修道が反中プロパガンダでクロード・ファレールの随筆を引用して以降、ネトウヨにより頻繁に利用されている記述が、クロード・ファレールによる大山事件の描写である。 中には、クロード・ファレールが”証言”しているとまで言って…

ハリエット・サージェント「上海 魔都100年の興亡」における大山事件

ハリエット・サージェントは1954年生まれのイギリス人女性コラムニストである。 父であるサー・パトリック・サージェントが文化大革命直後の上海に訪れた際に同行し、上海についての本を書くことになった。「上海 魔都100年の興亡」は歴史の本ではないが、こ…

大山中尉殺害事件における保安隊員の死因

大山事件で死亡した中国側保安隊員*1の死因については、中国側は日本側の発砲によるとし、日本側は同士討ちだと主張している。 酷い反中プロパガンダになると、中国側が”わざと”同僚を殺害した*2、あるいは、死刑囚を連れてきた*3、というものまであるが、そ…

日本海軍陸戦隊西部派遣隊本部の場所

1937年8月9日に殺害された大山勇夫海軍中尉は、上海特別陸戦隊第一大隊第一中隊中隊長であった。この第一中隊は上海西部の日本資本の紡績工場地帯の警備のために上海西部に派遣されていた。 前回の記事では、西部派遣隊の本部がどこにあったかわからなかった…

8月9日に大山勇夫中尉がモニュメント路(碑坊路)を通行した理由

1937年8月9日、日本海軍の大山勇夫中尉は、斉藤与蔵一等水兵の運転する自動車で上海西部のモニュメント路(碑坊路)(現・綏寧路)を通り、そこで殺害された。 モニュメント路(碑坊路)(現・綏寧路)は、中国空軍の軍専用飛行場である虹橋飛行場のすぐ東側を南…

大山事件に関する外務省の対外発表(8月11日)

外務省情報部長が事件2日後の1937年8月11日に公表した事件の説明だが、当然日本には一切非がなかったという主張になっている。実際にはこれらの説明には矛盾も多く、信頼性には疑問符がつくのだが、これをそのまま鵜呑みにして大山事件を日中戦争正当化や対…

上海大山中尉射殺事件の日本以外での報道

大山事件に関しては、当然ながら海外でも報道されている。中国側では南京放送が報道している。発表ソースは淞滬警備司令部であろうが、日本の同盟通信や朝日新聞が海軍省発表に依拠しているのと同じと言える。 その他、第三国メディア*1としてはロイター通信…

「各社特派員決死の筆陣支那事変戦史」で見る大山事件関連報道

反日ワクチンなるネトウヨサイト*1と同じくRed Foxなるネトウヨサイト*2で流布されている大山事件関連の日本特派員記事がある。あちこちでコピペされて使用されているが、この二つのサイトについては出典が明記されていた*3。 1937年12月に発行された「各社…

上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)2

上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)1 - 15年戦争史の続き 保安隊なお密集 昨深更・海軍省の発表 海軍では大山中尉射殺事件に関し十日午前一時海軍省副官談の形式で左の如く発表した。 第三艦隊参謀長よりの来電によれば 一、九日午後六時半頃…

上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)1

朝日新聞は縮刷版を出しているので大きな図書館なら確認できるが、容易に手に入るものととしては「朝日新聞社編 朝日新聞に見る日本の歩み 破滅への軍国主義I(昭和12年-14年)」という抜粋版がある。縮刷版はまず貸し出し禁止だろうが、抜粋版は貸し出しで…

第二次上海事変(1)

通州での邦人犠牲は日本の傀儡である冀東政府保安隊の反乱に伴うもので200人ほどの民間人が犠牲になっている。宋哲元の第29軍でも蒋介石の中央軍でもないことから、通州事件に対する反感を中国政府に向けるのは筋が通らないものであったが、日本軍は加害者を…