大山中尉殺害事件における保安隊員の死因

大山事件で死亡した中国側保安隊員*1の死因については、中国側は日本側の発砲によるとし、日本側は同士討ちだと主張している。
酷い反中プロパガンダになると、中国側が”わざと”同僚を殺害した*2、あるいは、死刑囚を連れてきた*3、というものまであるが、そこまでいくと荒唐無稽と言う他ない。

▼保安隊員解剖
【上海十一日発同盟】大山事件発生現場付近で発見された保安隊員一名の死骸は十一日午前十時真如医学研究所において工部局の外人検死官、陸戦隊の有馬軍医少佐立会の上研究所員執刀の下に解剖に付される事になった、これによって支那側の自称する如く日本側のピストル弾によって倒れたものか我が方の推定するが如く保安隊の同士打ちか又は大山大尉の自動車に対する乱射の際流弾に倒れたか何れが正しいか立証される訳で解剖の結果は注目される

http://wiki.livedoor.jp/kknanking/d/%C2%E8%C6%F3%BC%A1%BE%E5%B3%A4%BB%F6%CA%D1%A5%E1%A5%E2

この真如医学研究所所員というのは法医学者である孫達方である*4。この時点では、日本側の主張も「保安隊の同士打ちか又は(略)乱射の際流弾に倒れたか」という常識的な推定となっている。
この検死の結果、保安隊員を殺傷したのは小銃であり同士討ちだと証明された、と日本側は主張しているが、中国側は認めていない。

1937年8月12日東京日日
【上海本社特電】(十一日発)去る九日の大山事件の際日本側に射殺されたと報ぜられた支那保安隊員の死体は十一日午前十時半より真如司令部法医学研究所長孫達方執刀、日本側は陸戦隊山田参謀、有馬軍医少佐、支那側は市政府秘書張廷栄のほか工部局法医学専門家立会の下に解剖に付した結果、大山大尉、斉藤三等兵曹の自動車を認め報告に走るところを日本側が車中より発射した拳銃弾により即死を遂げたという主張は医学的に成立不可能なること判明、同人は支那側の同士討によって倒れたことは動かぬ事実となった。
立会の支那側代表はしどろもどろになって数次主張を変更しその出鱈目には立会の工部局員も唖然たるものあり最後にわが山内参謀は日本側の主張につき反駁の余地ありやと二度まで駄目を押したのに対して黙して答えず、支那側は遂に国際的に馬脚を現わすに至った。
わが方はこれによって今回の事件に関する実地検証証拠固めを完了したものと認め、これを基礎としていよいよ本格的交渉に移ることに決定した。

上記の記事は、日本側の新聞記者によるおそらくは日本海軍関係者への取材結果に基づくので、実際に検死がどのような状況だったかはわからない。「医学的に成立不可能なること判明」というのも具体的にどういう証拠に基づくのか不明であり、日本側の一方的な主張を鵜呑みにするのは早計であろう。
記事からは保安隊員の死体に銃弾が残っていたのか貫通銃創で銃創の形状から銃弾を特定したのか詳細は不明である*5が、日本側は小銃弾だと主張している*6。もし、貫通銃創であったなら、小銃弾か拳銃弾かの特定は困難であろうし双方が合意できる結論にもなりにくいであろう。逆に体内に弾丸が残っていた場合でも、小銃弾と拳銃弾は大きさがほぼ同じであるため、やはり特定困難であるが、体内に弾丸が残っていたのなら、貫通力の高い小銃での射撃は考えにくく*7、拳銃弾によるものと考えるのが妥当だろう。
いずれにせよ、中国側は日本側の主張を認めず、一方で日本側は同士討ちと断定し検証を打ち切っている。

消えた大山中尉の拳銃*8

当初の報道では、現場検証が終った後でも大山中尉が武器を持っていたかどうかについて全く言及されていない。
しかし、後に大山中尉の拳銃は本部に置きっぱなしで携行しておらず、斉藤水兵の拳銃もホルスター内にあり、運転手である斉藤水兵が撃てるはずがないという主張が日本側から追加される*9
9日夜から10日早朝までの現場検証で、大山中尉が拳銃を持っていたかどうか全く言及されていないのは不自然であるし、虹橋飛行場という中国軍の軍事施設を偵察に行くのに拳銃を置いていくというのも不自然である。
実際には、事件当時、大山中尉は拳銃を携行しており、事件後日本側が不利な証拠となる拳銃*10を隠滅した可能性も否定できない。

*1:名前は時景哲。http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/zishu/content.jsp?n_id=4816 「死刑囚」説では史景哲と記載されている。

*2:クロード・ファレールは「アジアの悲劇」で、”わざと”と匂わせるような表現で大山事件を書いているが、ファレール自身は大山事件の現場には行っておらず、日本側報道資料などを基にした伝聞記事であり事実関係としても間違いが多い。

*3:「マオ 誰も知らなかった毛沢東ユン・チアン、 ジョン・ハリデイ は、根拠を全く示さずに唐突に死刑囚だと決め付けているが、信憑性は皆無と言っていい。

*4:日中戦争 VOL3 1937/1945」児島襄、P85

*5:楊紀による回想では、保安隊員の背中に二つの銃創があったとされているため、おそらく弾が残っていたと思われる http://cyc6.cycnet.com:8090/xuezhu/zishu/content.jsp?n_id=4816

*6:つまり、拳銃ではなく日本側の発砲ではないという主張

*7:少なくとも至近距離で小銃で撃てば、弾丸が人体の中に残る可能性はきわめて低い

*8:12月17日に一部修正した

*9:8月10日午後三時二十分の海軍省発表で、大山中尉がピストルを携行していなかったと発表している

*10:保安隊員の体から検出した弾丸と比べれば、日本側が発射したかどうかは容易に分かったはずである