第一軍司令官・岩松義雄中将の上奏文

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13071082300、上奏文(写)(防衛省防衛研究所)」

上奏文(写) 元第1軍司令官 元陸軍中将 岩松義雄

 臣義雄
一、乏しきを以て第一軍司令官の重任を辱うし昭和十六年六月二十七日太原に着任し隷下各部隊を統率し山西省全域の作戦及治安建設に任せリ 当時山西省東南部には同年五月実施せられたる中原会戦に於て残存せる衛立煌麾下の中央軍約二万、同西部一帯には閻錫山麾下の山西軍約五万及胡宗南指揮下の中央軍約一万、同西北■北東南の山西省省境地区には共産軍約三万蟠踞し軍屢次の作戦討伐に依り勢力低下しありと雖も尚執拗なる抗戦を継続しあり
然れども一方新中国官民は其の行政機構の整備に伴ひ軍に対する協力漸次積極的気運に在りたり
茲に於て軍は敵性の剿滅を以て山西省粛正建設の根幹となし且軍政会民各機関の施策を緊密に統合推進し建設の迅速著実なる進展を企図せり

ニ、軍は敵性剿滅の為中央軍に対しては常続的に之を討伐するの外機会を求めて兵力を集結し活発なる殲滅戦を、共産軍に対しては徹底的且間断なき粛正討伐を実施するを以て方針とせり、即ち昭和十六年八月より二箇月間北支那方面軍司令官の計画に基き山西省東北部省境に根拠を有する共産軍に対し粛正討伐を実施し其の根拠施設を覆滅し次いで同年九月下旬より一箇月間山西省中部を南流する沁河河畔に蟠踞せる共産軍の一部及中央軍第九十八軍に対し作戦を実施し共産軍は之を撃砕し中央軍は之を殲滅せり本十七年に入るや共産軍の冬季困窮に乗じ一月上旬より二箇月間山西省全域に亙り粛正作戦を実施し之を益々窖縮に陥らしめ又河北、山西、河南省境地区に於て華北共産党軍の中枢を成しある第十八集団軍並に第百二十九師及南部大行山脈中に於て蠢動しありし中央軍第二十四集団軍並に対し五月中旬より七月下旬迄作戦を継続し共産軍の本拠施設の大半を覆滅し中央軍は之を粉砕せり

三、(略)

四、山西軍に対しては従来の謀略工作を強化促進し昭和十六年九月十一日に基本協定及停戦協定を、同年十月二十七日に停戦協定細目を締結せり 同年十月下旬山西軍の後方に在りて該軍の動向を監視し且合作を妨害しありし胡宗南指揮下中央軍の一部を撃滅し又一方閻錫山に対し東亜建設を基調とする日華合作に関する討議啓蒙と山西軍に対する威圧態勢の強化其の他の施策を続行し遂に本十七年五月六日閻錫山の本拠克難坡を去る南方約三十粁安平村に於て会見するの運びとなれり 同会見は合作に関する根本理念一致せるも具体的合作条件に於て合致せず為に決裂するの止むなきに至りたるは誠に遺憾とする所なり
爾後軍は中央の認可を得て閻錫山宛五月十七日既成協定破棄を通告し又閻錫山の優柔不断なる性格を是正し其の反省を促す目的を以て一部山西軍を殲滅し或は之を投降せしめ又経済封鎖を強化中なり

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