第十一話 響堂舗戦闘

第十一話 響堂舗戦闘

2014-09-19 13:17:12
 1938年3月、神頭嶺戦闘に勝利した後、八路軍第129師団の主力部隊は山西省渉県南西部の響堂舗に移り、日本軍の運輸部隊を待ち伏せしていた。具体的な作戦とは、第386旅第771団の全隊と第769団の一部が、響堂舗道路の北側にある後寛漳から楊家山まで東西長さ5キロの山間地帯と、道路の南側にある山麓に待ち伏せ、敵軍が南部の高地からの攻撃を防ぐことだった。そして第772団の全隊と第769団の一部は黎城と渉県からの敵軍増援部隊を遮断し、待ち伏せ部隊の安全を掩護する。3月31日午前9時頃、180台の戦車からなる敵軍の自動車部隊と護衛部隊は黎城から渉県に向かい、待ち伏せ圏に入った。第771団は先端を走る100台の敵軍車両を逃し、第769団の待ち伏せ範囲に入れた。残りの敵軍車両が待ち伏せ圏に入った途端、二つの師団は一斉に発砲し、道路に突入して銃剣や手榴弾で敵を襲った。敵軍が慌てて迫撃砲や機関銃で迎撃しようとしても間に合わず、撃退した。2時間にわたる激戦の後、30人余りの敵軍が逃走したものの、それ以外の敵軍を殲滅させた。同時に、黎城と渉県からの敵軍増援部隊も全て撃退した。今回の戦闘によって、八路軍は少佐以下の日本軍兵400人以上を殲滅し、車両180台、機関銃とピストル130丁余り、迫撃砲4台及び大量の軍事物資を手に入れた。後方部隊の綿密な働きと、民兵や一般庶民も戦場の清掃に参加したこともあり、物資は速やかに移動させた。戦闘が終わって2時間後、敵軍から10機の戦闘機が増援に来たものの、八路軍はすでにその場を離れていた。この戦闘はまさに小さな代価で大きな勝利を収めたと言える。
 八路軍第129師団は正太鉄道や邯長路で相次いで勝利を勝ち取り、長生口、神頭嶺、響堂舗戦闘で日本軍に大きな打撃を加え、山西省の西部と南部の同盟軍に多大な支援をもたらした。
 1、 八路軍第129師団劉伯承師長の写真(中央公文書館提供)

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/19/181s226749.htm