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上海・大山勇夫海軍中尉遭難事件(虹橋飛行場事件)の概略

1937年 第二次上海事変

1937年8月9日夕刻、上海郊外の虹橋飛行場正門前で大山勇夫海軍中尉が中国保安隊によって射殺された。大山事件という。
日本側は中国側に対し強硬に抗議し軍艦を上海に派遣して威嚇、結果として第二次上海事変が勃発するに至るが、中国側では日本軍将校が虹橋飛行場に突入して警備していた保安隊と交戦状態になった結果として大山中尉が射殺されたという説明がされている*1

虹橋飛行場は当時、中国軍専用の軍事施設であり周辺にはめぼしい建物はなかった。海軍陸戦隊本部は閘北地区であり、日本資本の工場は蘇州河沿いであって、虹橋飛行場とはまるで方向が違う。

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A:大山海軍中尉が1937年8月9日に遭難する直前に待機していた上海海軍陸戦隊西部派遣隊本部
B:大山海軍中尉が遭難した虹橋空港
C:日本資本の西部紡績工場
D:上海海軍陸戦隊本部

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120821/1345562162

また、当時既に華北では北京が日本軍により占領され、事実上日中は交戦状態にあり上海でも緊張状態になっていた。当然ながら上海近辺に配置されている中国軍や保安隊は警戒レベルを上げ、あちこちで検問を行っている。軍専用の飛行場である虹橋飛行場に日本軍将校がおいそれと近づける状態ではなかった。


二つの疑問

疑問は二つ。大山中尉がなぜ虹橋飛行場に向かったのか、そして、中国軍・保安隊の警戒線をどのように抜けたのか。

笠原教授は「海軍の日中戦争: アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ」で、日本海軍による意図的な強行突撃であった可能性を指摘している。
これとは別に大山事件と第二次上海事変の背景・2では、大山中尉が民間人に偽装した上で検問を通過し、虹橋飛行場の偵察をはかった、と主張している。

大山中尉が虹橋飛行場に向かったのが意図的であったという点では同じだが、警戒線の突破方法については強行突破と民間人偽装という違いがある。
いずれにせよ、大山中尉が能動的に危険地帯に突入していった点は当時の状況から見て間違いなく、中国側が何等かの画策をできるようなことではない。

関連記事:8月9日に大山勇夫中尉がモニュメント路(碑坊路)を通行した理由



アパ説は間違い

アパホテルの元谷は大山事件を、中共が「日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為」に仕組んだと主張しているが、上で述べた通り、それはありえない。

 しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

また、張治中スパイ説もユン・チアンが憶測で主張しているに過ぎず、まともな根拠は存在しない。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/choujichuu.html

過去に関わったことがあるからスパイだと言うのなら、蒋介石が日本のスパイだという主張だって可能であるし、昭和天皇はイギリスのスパイだということもできるだろう。張治中スパイ説はそのくらい荒唐無稽である。