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盧溝橋事件から通州事件・北京陥落まではどういう流れだったか

1937年7月7日、現在の北京郊外盧溝橋附近にて夜間演習中の日本軍に対して実弾発砲事件があった。日本軍の演習に反発した中国軍兵士による偶発的発砲というのが通説である。
発砲による日本軍の被害は皆無だったが、日本兵一名が一時所在不明になったことから日本軍は中国軍に対して強硬な態度に出て中国軍との交渉が決裂し戦闘状態となった。
本来現地レベルで解決できる程度の小規模な衝突だったが、日本政府が直ちに内地からの3個師団派遣を発表したことから中国側も態度を硬化させ中央軍の華北派遣を開始する。中国側第29軍に対して、日本軍支那駐屯軍も強行な態度に出るようになり北京攻撃のための部隊配置を進めた。
この際に、北京周辺の村落は次々と日本軍に占領され虐殺された村民も少なくない。



小部隊の中国軍が配置されていたところでは、日本軍による攻撃で敗走させられており郎坊や通州近郊もその一つである*1。郎坊では日本軍の展開に対し中国軍が抵抗したが、これを日本側では郎坊事件(7月25-26日)と呼んで中国側を非難する材料とした。
同じく、北京城内にも部隊を展開させるために城門を通過させようとして小競り合いが起きている。これを広安門事件(7月26日)と呼び、これも中国側を非難する材料とされた。
これらの小競り合いを理由として、支那駐屯軍は北京攻撃のための最後通牒を中国第29軍に突きつけた(7月26日)が最後通牒の期限前に攻撃を開始した。
南苑を中心とした北京攻防戦で中国側は大きな損害を出している。
一方で北京東方の河北省東部を支配していた日本の傀儡政権・冀東防共自治政府の軍隊である保安隊が通州と順義で反乱を起こす(7月29日)。
通州での反乱では日本人・朝鮮人の居留民が反乱部隊によって殺害されたことから、日本側では通州事件として中国側の残虐行為を宣伝した。なお、この反乱後、支那駐屯軍司令官の香月清司は冀東政府主席の殷汝耕を首謀者を疑い追及したが最終的には無罪とされ、冀東政府は日本政府に対して、通州事件について謝罪し賠償を行っている。

南苑の戦闘で中国第29軍が敗退した後、華北政務委員会の宋哲元は北京からの撤退を了承した(7月28日)。日本軍は第29軍の撤退を基本的に穏便に見守ったが、移動の妨害や強圧的な態度、北京周辺の掃討戦などは続いた。

関連記事:盧溝橋事件
関連記事:郎坊事件
関連記事:支那駐屯軍司令官による7月26日の最後通牒
参考資料:通州事件関連エントリー

宋哲元退去後、北京市長として日本軍との交渉を引き継いだのが張自忠である。北京が日本軍に占領された後に逮捕されそうになるが脱出し、国民政府軍に合流、抗日戦争を戦い、1940年5月、棗宜会戦で戦死した。

盧溝橋事件を中共の仕業とする説

アパホテルの元谷は以下のような主張をしている。

 一九三七年七月七日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留していた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になった(盧溝橋事件)。この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇(りゅうしょうき)が指示したものであることを、彼自身が告白している。事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

基本的な認識で間違っている。盧溝橋附近に駐屯していた中国軍華北政務委員会の第29軍であって「国民党政府軍」ではない。また中国側に「実弾が発射された」という説も聞いたことがない珍説だ。
さらには「双方への発砲」を中共劉少奇の指示とする説も都市伝説に属するレベルのものだ。
第一に、劉少奇自身が盧溝橋事件での中共による発砲指示を告白したという事実はない。

「日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に」中共通州事件を起こしたという説

アパホテルの元谷は上記に続いて以下のように書いている。

 しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

これも間違い。
大山事件・上海事変については別項に譲るが、通州事件が起きた1937年7月29日の前日には既に日本軍が北京に対して全面攻撃を行っている。
7月29日の通州事件で日本が激怒し7月28日に北京を攻撃したというのは時系列的に矛盾する。
通州事件以前に激怒していなかったが、北京を攻撃占領したというのなら日本軍が異常だとしか言えない。


*1:7月27日に、通州、団河、湯山を日本軍が占領ないし駐留中国軍部隊を排除