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第二十一話 棗宜会戦

1940年 棗宜会戦

第二十一話 棗宜会戦

2014-09-29 10:23:39
 【新華社北京9月14日】国家檔案局が9月14日『血を浴びて戦うーー中国の抗日戦争に関する檔案』第二十一回:棗宜会戦をその公式サイトに発表した。
 第二十一回の説明によると、1940年5月1日から6月18日にかけて、中国侵略日本軍は20万人の兵力を集結し、華中派遣軍第11軍を主力として、棗宜会戦を起こした。日本軍は湖北省棗陽と宜昌地区を中心に、中国第五戦区に対し大規模な攻勢を展開し、中国第五戦区の主力を包囲殲滅し、また宜昌を攻略して、中国の戦時首都の重慶を脅かすよう企んだ。
 中国第五戦区は6つの集団軍計38万人の兵力を集中させ、日本軍に対して防衛作戦を行った。
 棗宜会戦は一ヶ月半にわたった。部隊が重装備に乏しく、各部隊間における相互の友軍との連係や協同での作戦力が弱かったことから、部隊の通信連絡においては秘密が漏れ、そのうえ軍事統帥機関による日本軍戦略の企てへの判断ミスで、中国軍は会戦中に重大な損失を被った。
 しかし、中国の広範な愛国将兵が棗宜会戦で表現した犠牲の精神は、日本軍に強い衝撃を与えた。第三十三集団の軍総司令、張自忠将軍は戦いの前に部下を次のように戒めた。「国家がここまできたたら、我々は国家のために命をささげる以外、他に方法は全くない。我々のこの決意が揺るぎなければ、我々の国や我々の五千年歴史を持っている民族が、わずかな三島の倭奴の手に滅ぼされることは決してないと信じなければならない。国家や民族のために命を捨てるという決意は、海が涸れなければ、石が朽ち果てなければ、決して少しも変わることはない。」
 1940年5月7日、張自忠将軍は3つの団の兵力を自ら率いて、宜城から襄河を渡り、ひたすら勇敢に攻撃し、日本軍と9昼夜にわたって激戦した。日本軍は優勢な兵力により張自忠将軍の部隊に対し包囲・挟撃を実施した。張自忠将軍は不幸にも敵軍の重包囲に陥り、重傷を負って、16日に南瓜店で壮烈に殉国した。
 張自忠将軍は中国人民抗日戦争の戦没将兵の中で軍の階級が最も高かった高級将校だ。中国共産党の指導者、周恩来氏は張自忠将軍を「その忠義の志や壮烈な気性は、中国の抗日戦争軍人の魂だと真にみなすことができる」と称賛していたという。

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/29/142s227229.htm