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盧溝橋事件から通州事件・北京陥落まではどういう流れだったか

1937年7月7日、現在の北京郊外盧溝橋附近にて夜間演習中の日本軍に対して実弾発砲事件があった。日本軍の演習に反発した中国軍兵士による偶発的発砲というのが通説である。 発砲による日本軍の被害は皆無だったが、日本兵一名が一時所在不明になったことから…

支那駐屯軍司令官による7月26日の最後通牒

1937年7月25日深夜から26日朝にかけて起きた郎坊事件を契機として、日本軍は宋哲元の第29軍に対して7月28日正午を期限とする最後通牒を発した*1。この強硬な最後通牒は、対中強硬派の新任*2支那駐屯軍司令官である香月清司中将が発したものである。 香月司令…

通州事件時の日本軍守備隊兵力

部隊名 長 広中一成の記載*1 寺平忠輔の記載*2 通州兵站司令部 辻村憲吉中佐 2人 - 山田自動車部隊 山田正大尉 53人 50人 通州警備隊 藤尾心一中尉 49人 40人 通州憲兵分遣隊 松村清准尉 7人 (その他合わせて)20人 病馬収容班 - 5人 - 野戦倉庫員 - 2人 - …

通州事件犠牲者の状況

日本総領事館警察通州分署の事件直後の調査によると、1937年7月29日の通州事件における犠牲者は、内地人*1208人中114人死亡、鮮人*2213人中111人死亡、合計で225人が死亡している。 この他に、支那駐屯軍麾下の通州守備隊や憲兵隊があり、事件当時通州にあっ…

支那駐屯軍の増兵

1936年4月、日本軍はそれまで歩兵10個中隊(北京:2個、天津:8個)、砲兵1個中隊、工兵1個小隊の約1770人だった支那駐屯軍の兵力を約3倍に増強することを決定した。日本軍にとっては、中央を無視する傾向の強い関東軍の華北工作を牽制するため支那駐屯軍を…

通州城新南門外 宝通寺の戦闘(1937年7月27日)

日本の傀儡政権である冀東防共自治政府の首都・通州は北京の東方約10キロにある小さな都市である。通州は1935年の塘沽停戦協定で定められた非武装地帯の境界線上に位置し、城内及び城外南東部には冀東政府保安隊が駐屯しており、城外南西部の宝通寺には冀察…

通州事件の報道

通州事件とは、1937年7月29日に日本の傀儡政権である冀東防共自治政府所属の保安隊が反乱を起こし、日本軍守備隊及び冀東政府関連施設を攻撃した事件を指し、その際日本人居留民にも多くの犠牲者が出ている。 事件直後の8月には、日本陸軍は通州事件をプロパ…

通州事件に言及した書籍

通州事件は、1937年11月29日午前2〜4時*1から開始された冀東防共自治政府*2所属の保安隊の反乱に伴い発生した通州在住の日本人・朝鮮人に対する暴行・殺傷事件である。 歴史修正主義者の中村粲や東中野修道によって未だに反中プロパガンダとして利用されてい…

第二次上海事変(1)

通州での邦人犠牲は日本の傀儡である冀東政府保安隊の反乱に伴うもので200人ほどの民間人が犠牲になっている。宋哲元の第29軍でも蒋介石の中央軍でもないことから、通州事件に対する反感を中国政府に向けるのは筋が通らないものであったが、日本軍は加害者を…

盧溝橋事件

1937年7月7日夜、北平郊外盧溝橋で夜間演習中の日本軍(支那駐屯歩兵第1連隊第8中隊)に対し中国側陣地からの発砲があった。日本軍兵士一名の所在が確認できなかったことから俄かに緊張が高まり、支那駐屯軍歩兵第一連隊の牟田口連隊長は中国側に攻撃を一木…