中国

第三話 平型関の戦いに関する説明

第三話 平型関の戦いに関する説明 2014/9/11 13:43 1937年9月中、下旬、津浦鉄道、平漢鉄道に沿って南下した日本軍は、それぞれ河北省の滄州、保定などを占領した。平綏鉄道に沿って進んだ日本軍は山西省北部に入り、天鎮、広霊、大同を占領した。閻鍚山が率…

第二話 八一三淞滬会戦

第二話 八一三淞滬会戦 2014/9/10 15:40 七・七事変(盧溝橋事変)発生後、日本海軍が再び上海地区で挑発・挑戦した。1937年8月9日、大山勇夫海軍中尉など二人が車に乗って上海虹橋空港に乱入して挑発したため、駐屯する軍隊の保安隊に射殺された。日本軍は…

第一話 七・七事変(盧溝橋事変)

第一話 七・七事変(盧溝橋事変) 2014/9/9 16:17 1937年7月7日夜、華北に駐屯していた日本軍が、中国第二十九軍の守備エリア・盧溝橋付近でいわゆる軍事演習を行った。その後、兵士1人が行方不明になったのを口実に日本軍は北平南西部にある宛平城内の捜索…

廬山談話

1937年7月17日、蒋介石は廬山談話(いわゆる「最後の関頭」演説)を発表。 抗日全軍将兵に告ぐ 蒋介石 抗日全軍将兵同志諸士! 今次の蘆溝橋事件に際し、日本軍は卑劣極まる欺瞞的手段によつて我が天津及び北平を占拠し、我が同胞民衆を殺害したが、我が国に…

東北地方の国民党軍・共産党軍の対峙

岩村三千夫の「中国革命史」(青年出版社、1968年11月30日初版、1973年4月30日第2版)に以下の記載がある。 ところが国民党は、四六年三月はじめにソ連軍が瀋陽*1から撤退すると、まっていたとばかりに瀋陽とその周辺を占領し、四月はじめまでに約二八万の大軍…

ノース・チャイナ・デイリー・ニュース(North China Daily News)について

<ノース・デイリー・チャイナ・ニューズ> バンドの老婦人ことノース・デイリー・チャイナ・ニューズ紙は購読者の意見を代弁し、英国崇拝と中国人蔑視の調子で好評を博した。また経営者、モリス家は上海共同租界の最高行政機関、市参事会の議員に席を連ねて…

日中戦争での中国軍の死傷者数

日中戦争での中国側死傷者数については、中国側発表をことさら貶める右翼が多い。特に薄弱な根拠で捏造だと決め付けるネトウヨは軍事ヲタクの中にも数多くいて、醜いレイシズムをネット上でばら撒いている。日中戦争の一方の当事者であった蒋介石は自著で以…

囲剿(掃共戦、剿共戦、共産軍包囲討伐作戦)

開始 終了 国民党軍兵力 第一次囲剿作戦 1930/12/20 1931/1/3 第六路軍(5個師)、第九路軍(5個師)、第十九路軍(2個師2個旅) 第二次囲剿作戦 1931/2/10 1931/5/30 第五路軍(5個師)、第六路軍(5個師)、第九路軍(2個師)、第十九路軍(2個師…

上海駐在の日本海軍将校によるスパイ活動

平時においても駐在武官や駐留軍将兵らが、任地で諜報活動をするのは軍事的には普通のことである。1934年9月10月に中島中佐が行った虹橋飛行場の偵察活動も軍事的には当然の行動であるが、これは1937年8月9日の大山事件での大山中尉の行動を暗示してもいる。…

1939年末時点の上海共同租界義勇隊・警察

義勇隊 イギリス人 577人 ロシア人 253人 中国人 243人 アメリカ人 156人 日本人 116人 スペイン人 113人 ドイツ人 78人 その他 70人 合計 1734人 この他にロシア隊隊員323人を加えて、2057人である。*1 警察の人数と給料 国籍 人数 給料 一人当たり平均給料…