1937年9月時点の日本陸軍の派兵状況
1937年9月時点の日本陸軍の歩兵師団数は23個*1。独立混成旅団は1個*2。
もともと独立混成旅団は2個あったが、そのうち独立混成第11旅団が第26師団に1937年9月に改編されている。
1937年7月に関東軍から2個旅団(独混1旅、独混11旅)、朝鮮軍から1個師団(20師)が派兵され、さらに内地から第5師団、第6師団、第10師団の3個師団の派兵を決定する。
1937年8月に上海に戦闘が飛び火(第二次上海事変)すると、さらに第3師団、第11師団の派兵を決定。華北では8月31日付で支那駐屯軍を北支那方面軍に格上げし、隷下に第1軍と第2軍を編成する。
北支那方面軍(方面軍司令官・寺内寿一)
方面軍直轄に第5師団、第109師団、支那駐屯混成旅団*3、臨時航空兵団。
第1軍(軍司令官・香月清司)隷下に第6師団、第14師団、第20師団。
第2軍(軍司令官・西尾寿造)隷下に第10師団、第16師団、第108師団。
これらとは別個に、独立混成第1旅団と混成第2旅団、混成第15旅団からなるチャハル兵団が内蒙古方面を侵攻し、第5師団と独立混成第11旅団(後、第26師団)が河北省から内蒙古方面侵攻に加わっている。これらは第5師団を除いて関東軍からの派兵部隊であり、9月になると山西省にまで侵攻する。
北支那方面軍は第5師団を河北省に戻すよう指示するが、第5師団は山西省攻略を継続したため、北支那方面軍は第1軍を山西省方面にさし向けることになる。
上海派遣軍(軍司令官・松井石根)
第二次上海事変の勃発に際し、陸軍は第3師団と第11師団の上海派兵を決定し、8月には上海に上陸している。しかし、中国軍の頑強な抵抗にあい、9月さらに3個師団(第9師団、第13師団、第101師団)の追加派兵を決定する。後にさらに追加派兵されることになるが、1937年9月時点ではこの5個師団が上海派遣軍隷下にあった*4。
各方面の配置状況
関東軍 | 5個師(1師、2師、4師、8師、12師) |
朝鮮軍 | 1個師(19師) |
北支那方面軍 | 9個師(5師、109師、26師、6師、14師、20師、10師、16師、108師)、2個旅(独混1旅、支混旅) |
上海派遣軍 | 5個師(3師、11師、9師、13師、101師) |
内地 | 3個師(近師、7師、18師) |
この他、混成第2旅団、混成第15旅団(いずれも関東軍隷下の駐箚師団から臨時編成)、臨時航空兵団など。
1937年末までに、さらに第114師団が編成され、第18師団とともに第10軍として上海方面に派兵される。
http://marc73.hatenadiary.jp/entry/20130528/1369754304
年 本土・朝鮮 関東軍 中国 合計師団数 人数 1937 3個 5個 16個 24個 95万人
1937年末の状況。
場所 | 配備 |
---|---|
満州 | 5個師(1師、2師、4師、8師、12師) |
華北 | 7個師(5師、109師、26師、14師、20師、10師、108師)、2個旅(独混1旅、支混旅) |
華中 | 9個師(3師、11師、9師、13師、101師、18師、114師、6師、16師) |
内地 | 2個師(近師、7師) |
朝鮮 | 1個師(19師) |
合計 | 24個師2個旅 |
*1:http://scopedog.hatenablog.com/entry/20161103/1478281292
*2:http://scopedog.hatenablog.com/entry/20161130/1480515062
*3:後、1938年6月に第27師団に改編
*4:この他に台湾から重藤支隊等