南京大虐殺時の日本軍第6師団

盧溝橋事件勃発当時の第6師団は、4個歩兵連隊で構成される四単位師団であり、師団長は谷寿夫中将であった(在任:1935/12/2~1937/12/28)。
隷下の歩兵連隊は、歩兵第13連隊(熊本)、歩兵第23連隊(都城)、歩兵第45連隊(鹿児島)、歩兵第47連隊(大分)である。

歩兵第11旅団(長:桜井徳太郎少将)
・歩兵第13連隊(熊本)(長:岡本保之大佐)
・歩兵第47連隊(大分)(長:長谷川正憲大佐)

歩兵第36旅団(長:牛島満少将)
・歩兵第23連隊(都城)(長:岡本鎮臣大佐)
・歩兵第45連隊(鹿児島)(長:竹下義晴大佐)





開戦当初、第6師団は華北に派兵され支那駐屯軍隷下で華北の作戦に従事した。その後、上海戦線での日本軍が苦戦していたことから、10月20日に第10軍隷下となり、杭州湾上陸作戦に参加する。
その後、第10軍が南京への侵攻を開始、第6師団もこれに参加し、南京城攻略作戦を行っている。
南京陥落直後の1937年12月28日、谷寿夫中将は第6師団長を解任され、後任には稲葉四郎中将(在任:1937/12/28~1939/12/1)が就いている。

南京攻略戦

第6師団は華北からの転戦部隊であるが、上海戦ではほとんど戦闘らしい戦闘は行っていない。しかし、上陸後に強行した南京への急進撃は将兵の大きな負担となった。また、将兵の士気については華北での戦闘中から低下していたことを伺わせる日記などが残されている。
第6師団の侵攻ルートは、嘉興から湖州、広徳を経て、南西から南京城に迫るものであった。

雨下台の攻防戦

京城中華門の南方に展開する雨下台陣地には第6師団と第114師団が協力して攻撃をかけ、1937年12月12日正午には日本軍により雨下台が占領された。雨下台を占領した第6師団はそこに砲列をしいて、中華門や南京城内を砲撃した。

歩兵第23連隊(都城)(長:岡本鎮臣大佐)

12月12日午後、第3大隊・第2大隊が南京城南西角を占領し、12月13日には城内に侵入した。第1大隊は漢西門外側を北上した。第2大隊は12月16日に摘発した中国軍捕虜約1000名漢中門外で銃殺・斬殺している。

歩兵第45連隊(鹿児島)(長:竹下義晴大佐)

歩兵第47連隊(大分)(長:長谷川正憲大佐)

歩兵第13連隊(熊本)(長:岡本保之大佐)

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