真珠湾攻撃

1941年12月8日(現地時間7日)、日本海軍機動部隊はハワイ真珠湾を奇襲攻撃。停泊中のアメリカ太平洋艦隊に対して甚大な被害を与えた。アメリカ政府は直ちに対日宣戦布告を宣言し、太平洋戦争が勃発する。日本側からの宣戦布告の通告は様々な誤謬により攻撃開始に間に合わず無通告攻撃となった。このことはアメリカ世論を激怒させ、アメリカの戦時体制移行に拍車をかけた。
日米戦争の勃発は自動的に欧州戦争への参戦を意味したため、チャーチル真珠湾攻撃を歓迎した。日独伊三国軍事同盟条約の第3条*1は締約国が攻撃された場合の自動参戦の規定であって厳密には真珠湾攻撃によってドイツやイタリアが対米参戦する義務はない。しかし、既にアメリカがイギリスに対し軍事援助を行っていたことなどからドイツもイタリアも対米宣戦布告し、欧州戦争と日中戦争第二次世界大戦という枠に組み込まれることになった。
チャーチル真珠湾攻撃を歓迎したのと同様に、蒋介石もまた日米戦争を歓迎した。日本の侵略に対し中国単独で4年半に渡って抗戦して耐えてきた孤独感から中国は解放され連合国の一角となった。1937年7月7日以来続いてきた宣戦布告無き戦争は、1941年12月9日の対日・対独・対伊宣戦布告によって国際法上明白な戦争となった。
しかし、ソ連と日本との間に結ばれた日ソ中立条約はこの時点でも破棄されることなく、奇妙な関係が続くことになる。
1942年1月1日、連合国26カ国の代表がアルカディアに集まり、連合国共同宣言に署名した。日独伊に対し単独休戦講和をしないことを明記し、以後この宣言に加わる国が増え1945年3月までに47ヶ国になった。アメリカ、イギリス、ソビエト中華民国という四大国の他、オーストラリア、 カナダ、コスタリカキューバ、ドミニカ、エルサルバドルグアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インド、ニュージーランドニカラグアパナマ南アフリカ、ベルギー亡命政府、チェコスロバキア亡命政府、ギリシャ亡命政府、ルクセンブルク亡命政府、オランダ亡命政府、ノルウェー亡命政府、ポーランド亡命政府、ユーゴスラビア亡命政府である。
1942年1月3日、蒋介石連合国軍中国戦区総司令官となる。

1941年12月8日の蒋介石日記

『わが国の対日宣戦にはすでに問題はなく、手続きもきわめて容易である。太平洋で戦争が爆発した以上、これからあとのわが中国の地位はとくに重要となることを知らなければならない。わが国は軍事力において情勢を究極的に左右する力を持つとはいえないが、侵略された各友邦が、今後日本にたいし一致した行動をとるかどうかに関していえば、わが国がその態度決定に与える影響は大きい。したがって、わが国は対日宣戦の前に、戦争にたいしてとるべき政策を英、米、ソ各友邦に事前に通知し、同時に彼らの態度と主張をただしておかなければならない。
 わが国の政策は次の三点に帰着させることができる。
 一、太平洋の反侵略各国は、ただちに正式の同盟を成立させ、米国を指導国とするとともに、同盟国連合軍総司令を選出する。
 二、英、米、ソとわが国が、独、伊、日にたいし、一致して宣戦することを要求する。
 三、連合国各国は、太平洋戦争の勝利までは、日本と単独講和をしないことを相互に約定する。
 われわれの政策のこの三原則は、反侵略各国の共同の利益を考えて決定したものであり、これを貫徹してこそ、反侵略戦争の完全な勝利を獲得することができる』
蒋介石秘録」