1927年、井崗山入り直前の毛沢東

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 永新県の西方で井崗山から二八キロの三湾という峠に集結した軍は、激戦の損害で残り少なになったので、整理改編を行わねばならぬ。旅団長がかぞえると、一旅団を一連隊にするにも足りないので、ついにニ大隊にすることにしようという、まことに心細い訓辞を与えた。兵士たちは落胆の余り気が抜けて、馬鹿のようにうつろな目で隊長をながめているばかりである。そのあとで新任の連隊長の紹介に応じて、人波をわけて演壇に上った背の高い人物がある。これが政治部の毛沢東主任であった。頭髪は伸放題、長い間理髪したこともなさそう、身体には中国のお百姓さんのきる破れた綿入りの上衣をつけて、脚は草鞋をはいている。(見すぼらしい身なりにもかかわらず)いかにも落ちついたおだやかな態度、顔には笑をたたえている。壇上に登ると一同はこれにつられて、笑顔でひとしきり拍手が送られた。
 「同志たち。敵はわれらのすぐ後ろから、抜身の槍をつきつけているではないか。なぜわれわれはこれでもたちあがらないのか。・・・諸君はみな生娘なのだろうか。敵が足を二本もっているなら、われわれだって二本もっている。賀竜同志は二本の包丁だけをひっさげて家を起し、今では師団長になってこれを統率している。われわれには二本の包丁どころか、二大隊もあるのに、なにをこわがってたち上らないのか。君たちは皆すでに団結して旗を上げたのだ。一人が敵十人を引受け、十人が百人をひきうけることができる。現在こんなに何百人の隊伍があって、なにをこわがるのか。挫折失敗があるどころか、ただ成功があるばかりではないか。」
一同は思わず微笑して、ひじょうに興奮したようである。散会すると、口々に、
毛沢東同志がこわがらないのに、われわれはなにをこわがることがあるものか」
といった。以上はこのとき従軍していた譚政という闘士が一九五一年七月の人民日報にのせた思出話を訳出したのである。

*1:毛沢東伝」貝塚茂樹、P106-107