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ニクソン訪中と角福戦争(1971〜72年)


実際にニクソンが訪中(中華人民共和国)したのは1972年2月21日。意思表明は前年7月にされていたが実現するかどうか世情での判断は分かれていた。なお、アメリカと中華人民共和国との間に正式な国交が成立するのは1979年1月、カーター政権になってからである。
実際には台湾しか実効支配できていない国民党政府を、正統な中国政府として国交を結んでいた日本にとっても、このニクソン訪中は衝撃だった。特にソ連中共に対峙する日米韓台の反共同盟思考を持つ反共保守派にとって、最もあてにしていたアメリカが中共と結ぶことははしごをはずされたに等しかった。
佐藤栄作政権は1964年11月以来、7年余り(1972年2月時点)、外交的には中共敵視を基礎とした反共包囲網の構築に専念してきたが、米中接近はその根本を揺るがしそれまで押さえつけてきた自民党内親中派を勢いづけることになる。ニクソン訪中の3ヵ月後の1972年5月、田中角栄率いる田中派が佐藤派から分離、7月5日には自民党総裁選が行われた。佐藤が支持する福田赳夫と佐藤から独立した田中角栄との事実上の一騎打ちとなった自民党総裁選を制したのは田中角栄であった。田中の党内工作が佐藤派を切り崩し総裁選直前の1972年6月の沖縄返還といった実績すら霞ませ、佐藤栄作の長期支配に対する反感もあり、佐藤・福田は敗れ去ることになる。
この総裁選では、親米派中曽根康弘日和見を決め込み出馬しなかったことが一つの鍵になっている。中曽根は佐藤・田中の対立から中立であると見られており、もし出馬していたら中間層の票が流れ予測困難となっていただろう。
ニクソン訪中は、親米派の中曽根の動向を親中派の田中寄りにシフトさせたのである。