第二十八話 車橋戦役

第二十八話 車橋戦役

2014-10-06 13:47:18
 【新華社北京9月21日】国家檔案局が9月21日『血を浴びて戦うーー中国の抗日戦争に関する檔案』第二十八回:車橋戦役をその公式サイトに発表した。
 第二十八回の説明によると、車橋鎮は江蘇省淮安県の東南に位置し、蘇中(江蘇省の中部)と蘇北(江蘇省の北部)を結ぶ中枢で、日本軍第65と第64師団の結合部であり、日本軍の1小隊と傀儡軍の1大隊が防ぎ守るだけで、孤立が比較的目立っていた。これにより、新四軍蘇中軍区は5つの団の兵力を集中させ、3縦隊を編成し、拠点を攻撃し増援部隊を打撃する戦法をとり、一つの縦隊で車橋を奪い取り、二つの縦隊で周辺で増援の敵をせん滅する準備をすることを決意した。1944年3月5日1時50分、我が軍の車橋鎮への主力攻撃を担当する部隊が敵の周辺拠点を避け車橋鎮にまっすぐ突っ込み、砲兵大隊の火力支援の下で、車橋鎮内へ一挙に突入し、一夜の激戦を経て、傀儡軍一つの大隊を全滅させ、また日本軍を中心的な軍事施設に追い詰め、包囲した。我が軍の車橋に対する攻撃は、周囲の日本軍を驚かせ、淮陰、淮安、泗陽、漣水などの日本軍は装甲車や自動車に乗り、5組に分かれて車橋に応援に駆けつけた。その第一陣の増援の敵が車橋の西側の芦家灘へ入った際、我が軍の増援軍阻止部隊の強烈な一撃に遭い、我が軍が予備的に設けた地雷区への退入を迫られた。我が軍は爆破性火器の炸裂に乗じ勇気を奮って出撃し、敵240人余りをせん滅した。そして、引き続き更に順次増援した日本軍に壊滅的な打撃を与えた。6日の朝、車橋の殘りの日本軍は隙に乗じてあちこち逃げ回った。我が軍は勝ちに乗じて戦果を拡張し、13日までに泾口、曹甸などの拠点12か所を相次いで奪回し、戦役は終わりを告げた。
 この戦役で、日本軍の大佐以下計460人余りと傀儡軍480人余りをせん滅し、華中地区における我が軍の殲滅戦の範例を創り出した。今回の戦役の中で、我が軍は「心臓をほじくり出す」戦術をとり、拠点攻撃任務を担う部隊は敵の周辺拠点に迂回し、車橋鎮をまっすぐ突っ込み、また大部分の兵力により敵の援軍をせん滅し、それによって拠点攻撃と援軍への攻撃との両方の勝利を獲得した。この戦役の勝利は、敵の「農村の抵抗者を一掃する」「駐屯して開拓する」計画を乱し、蘇中、蘇北、淮北、及び淮南の根拠地の連絡をより疎通させ、蘇中の抗日根拠地を堅固・拡大し、蘇中における抗戦情勢の根本的な好転を実現させた。
 (新華網日本語)

http://japanese.cri.cn/782/2014/10/06/162s227463.htm