第二十六話 中国遠征軍のミャンマー北部、雲南西部での戦闘記録のリスト

第二十六話 中国遠征軍のミャンマー北部、雲南西部での戦闘記録のリスト

2014-10-04 13:55:02
 【新華社北京9月19日】国家檔案局が9月19日『血を浴びて戦うーー中国の抗日戦争に関する檔案』二十六回:太行、太岳の夏季の反「掃討」作戦をその公式サイトに発表した。
 第二十六回の説明によると、1943年10月、中国遠征軍は雲南ミャンマー(その当時はビルマと称した)道路を再び掌握するため、イギリス、米国の軍隊と連合し、ミャンマー北部、雲南西部で日本軍に対する反撃を展開した。
 1943年10月14日、中国駐インド軍新編第38師が日本軍第18師団の防御線を撃破し、新平洋を攻略し、ミャンマー北部に進軍した。1944年初め、堅布の谷間を占領し、日本軍の残軍が孟拱の河谷を撤退するように迫った。その後、中米突撃支隊は引き続き進軍し、2カ月余りの苦戦を経て、8月4日に密支那を占領した。
 ミッチーナー作戦と同時に、中国遠征軍は怒江を強引に渡り、1944年5月下旬に高黎貢山を越えて瓦甸、江苴の東のラインまで進軍した。6月から9月に、松山を進攻し、占領した。9月14日、騰沖を攻略した。11月から翌年3月にかけて、龍陵、八莫、南坎、腊戍などの重鎮を連続して攻略した。このときまで、ミャンマー北部・雲南西部の戦いは終結した。
 ミャンマー北部・雲南西部の戦いは、1年半続いた。中国遠征軍は日本軍が不法占拠したミャンマー北部の大小50余りの町を攻略し、雲南西部で失われた8万平方キロ余りの地域を奪回し、西南国際陸路の交通ラインの開通に成功した。この戦いでは、我が軍は敵軍4万人余りをせん滅し、大量の武器装備を押収し、日本軍に甚大な打撃を与え、国威を発揚した。

http://japanese.cri.cn/782/2014/10/04/142s227439.htm