浜松事件

1948年の静岡県熱海市は稲川角二(稲川聖城)率いる暴力団によりほぼ裏社会の支配が確立していた時期である*1
この頃、浜松では暴力団と在日朝鮮人系愚連隊の対立が激化しつつあった。対立の争点は闇市である。敗戦後、小野組を中心とする暴力団系の闇市朝鮮人系の闇市が形成されるが扱う商品には差があった。法的に曖昧な立場を利用した朝鮮人闇市は非合法商品を扱うことができたため、小野組系闇市は商業的に圧迫されていた。このため、小野組の小野近義は公権力との癒着を強め対抗する。当時闇市の顔役は著名人扱いだったため、1947年の選挙で小野近義は静岡県の県会議員に当選している。闇市暴力団・自治体の癒着である。
1948年1月には*2占領軍の政策が反共勢力としての日本育成に明確に切り替わり(逆コース)、警察などの公権力は急速に朝鮮人に対して高圧的に変化し、直接的弾圧は避けたものの公権力が暴力団を手先に使うようになっている。この動きの中で、小野近義は朝鮮人闇市を圧迫していった。朝鮮人闇市と小野組との小規模な小競り合いで、小野近義が仲裁する際は朝鮮人闇市側に不利な裁定を下した。特に1948年4月4日に予定されていた朝鮮人主催のダンス・パーティ(演芸会)に小野組が手を回して楽士派遣をキャンセルさせたことは、パーティが台無しにされ面子を潰す行為だった。
これをきっかけとして4月4日17時頃に朝鮮人らが小野組(小野興業社)に殴りこみ、22時頃にも別の小野組事務所(小野組輩下香具師)に殴りこんでいる。双方50人ほどが参加しているが、なぜか小野組側は応戦準備ができており朝鮮人にのみ死亡者が出ている。また警察側の手回しもなぜか良く22時45分頃には鎮圧されている。
翌日4月5日、双方に増援が到着するが、情勢は小野組に圧倒的に有利で朝鮮人らは自分たちの国際マーケットを小野組から守る配置についていた。しかし19時20分頃、小野近義宅に向けて発砲があったとされ、わずか10分後には小野組による国際マーケットに対する一斉攻撃が開始された。国際マーケットと朝鮮人経営の金泉館が19時30分に襲撃され、21時40分には朝鮮人経営の明月旅館も襲撃されている。浜松市内あちこちで起こった騒乱は23時になってようやく鎮圧されている*3

警察の対応

警察は4月4日17時の最初の殴りこみの時点で200人近い非常呼集をかけているが、この時点では器物損壊のみの事件であり、その後に起きる騒乱を警察は事前に知っていた節がある。しかも4月4日22時の襲撃ではわずか45分で鎮圧しているものの一人も検挙できておらず、情勢不利だった小野組に警察が事実上の加担をした可能性が高い。
一方、4月5日の小野組による朝鮮人襲撃に対しては事件発生の19時30分から23時になってようやく鎮圧できている。5日の事件は小野組による一方的な朝鮮人襲撃であり、前日より人数が増えているものの警察側も増援を得ていたため鎮圧に3時間以上かかったのは不審で、警察側が検挙を手控えたと見るべきだろう。

顛末

浜松事件は、暴力団朝鮮人の抗争事件として片付けられ、逆コース初期における警察と暴力団の共闘という側面に目が向けられることはなかった。朝鮮人側は程なく1949年6月、熱海でも稲川角二による朝鮮人追い出しが成功し、1949年9月には在日本朝鮮人連盟も解散に追い込まれ団体としての朝鮮人組織はアウトロー化を強いられ、個人としてアウトロー化した朝鮮人らは暴力団へと吸収されていくことになる。
一方、浜松を支配下に収めた暴力団・小野組は県会議員小野近義の下で政治利権に結びついていく。



静岡県モーターボート競走会設立

現在の浜名湖競艇場の設立に小野近義は関わっている。小野組が浜松を制圧してから2年後の1951年、静岡県選出の国会議員神田博(自由党(後の自民党))を畠山鶴吉(民主自由党(後の自民党))が地元利権誘導のためにモーターボート競走法案の制定させている。1951年6月18日の制定から3日後の6月21日、静岡県モーターボート競走会が成立し、その副会長の一人に小野近義が名を連ねている。競艇場候補地としては、熱海、清水、浜松があったが、熱海は1950年4月13日の大火の影響で早期の競艇会が実施不可能であり、事実上清水と浜松の争いとなった。清水を推す長島銀蔵参院議員(自由党(後の自民党))と浜松を推す神田博衆院議員(自由党)をそれぞれ後ろ盾とする争いとなったが、1953年には長島銀蔵を浜名湖競艇組合の顧問に迎える形で顔を立て、実権は浜松派の神田博と小野近義が牛耳ることになった*4

*1:http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20101011/1286765519

*2:ロイヤル陸軍長官の1948年1月6日演説「日本を極東における全体主義共産主義)に対する防壁にする」

*3:2 - 衆 - 治安及び地方制度委員会 - 27号 昭和23年05月06日

*4:http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2006/00005/contents/0055.htm