盧溝橋事件から通州事件・北京陥落まではどういう流れだったか

1937年7月7日、現在の北京郊外盧溝橋附近にて夜間演習中の日本軍に対して実弾発砲事件があった。日本軍の演習に反発した中国軍兵士による偶発的発砲というのが通説である。
発砲による日本軍の被害は皆無だったが、日本兵一名が一時所在不明になったことから日本軍は中国軍に対して強硬な態度に出て中国軍との交渉が決裂し戦闘状態となった。
本来現地レベルで解決できる程度の小規模な衝突だったが、日本政府が直ちに内地からの3個師団派遣を発表したことから中国側も態度を硬化させ中央軍の華北派遣を開始する。中国側第29軍に対して、日本軍支那駐屯軍も強行な態度に出るようになり北京攻撃のための部隊配置を進めた。
この際に、北京周辺の村落は次々と日本軍に占領され虐殺された村民も少なくない。


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