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第二十三話 蘇北蘇中1941年夏季の反「掃討」戦役を発表

1941年

第二十三話 蘇北蘇中1941年夏季の反「掃討」戦役を発表

2014-10-01 17:11:08
 1941年7月上旬に日本軍と偽軍(中国人で編制された日本軍の協力部隊)は、塩阜地域で「掃討」準備を行い、塩城の新四軍指導機関をせん滅し、抗日拠点を壊滅した。新四軍軍部が塩阜区軍民に反「掃討」作戦を指導した。
 7月20日、日、偽軍1万7千人余りが塩城を合同で攻撃した。22日、日本軍は塩城を占領直後に、周辺地域を「一掃」し、水陸の交通要路を掌握し、分割して封鎖した。河川地域では、特製装甲艇を使用して方々を捜索し、新四軍軍部及び主力部隊を探し出そうとした。しかし我が軍は先行して分散・移動したため、敵軍は次々と無駄足を踏んだ。我が軍は戦術に基づき狙撃、襲撃、迎え撃ちなどの手段を用いて敵軍を殺傷した。28日以降に、日本軍は重点を阜寧、東溝、益林地区に移して「掃討」を行い、阜寧県城を占領した。新四軍各部は東溝、益林及び湖垛地域で敵軍数百人をせん滅し、自製水雷を利用し、敵軍の複数の装甲艇を撃破した。第二旅は塩城から東台までの交通ラインを破壊し、敵軍の補給を断った。
 8月初めに、日本軍は大多数の兵力を蘇中地区に移動させて「掃討」を行った。新四軍は反「掃討」作戦を展開し、前後して阜寧、東溝、益林、大中集、裕華鎮などの重要な町を奪回したため、塩城の敵軍は恐慌のあまり、蘇中「掃討」の兵力を撤回せざるを得なくなった。
 塩阜、蘇中区軍民は、新四軍軍部の統一した指揮の下で、緊密な協力と相互の戦術的援護を展開し、敵軍をあちらを立てればこちらが立たずの状態にし、敵軍の「掃討」を粉砕するために決定的な役割を発揮した。8月末、敵軍の「掃討」を徹底的に粉砕した。一ヶ月余りの反「掃討」で、我が軍の作戦は計130回余りに上り、敵軍、計3,800人余りをせん滅し、汽艇30艘余りを撃沈した。我が軍の死傷者は1,000人余りに上った。

http://japanese.cri.cn/782/2014/10/01/161s227378.htm