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1932年1月22日の上海の政治状況

中国側(抗日救国会、市党部、工業連合会、北四川路商人連合会など)

20日の日本人居留民による三友実業社放火事件、工部局中国人警官殺傷事件、北四川路暴動、さらに21日の居留民団の脅迫じみた声明を受け、中国側の上海各界抗日救国会、市党部、工業連合会、北四川路商人連合会などの官民諸団体は緊急動議を開き、次の内容を決定する。

対日経済断交の実施
国民政府に対して対日断交を要請
三友実業社工人及び同地市民の慰問
犯人の処罰
賠償及び将来の保障に関する対日要求
日本陸戦隊の撤退要求
その他、抗日防備に関する種々の宣言、決議

これらの宣言・決議は、上海市政府及び租界工部局に赴いた代表が要求している。
国民党上海市党部はさらに、「抗日運動は日本の不法な侵害に対する全国民衆の一致した消極抵抗策であって、この中国唯一の活路に対し、何人の干渉も許さない」との宣言を発表している*1

上海市政府

呉鉄城市長は1月22日、三友実業社襲撃放火事件に関し公文をもって日本側に厳重抗議している。内容は以下の通り。

関係日本人が早朝より隊を組みて支那工場に放火し且勤務中の巡捕を斬殺せるは単に法を犯せるものなるのみならず時局多端の際其の影響の及ぶ所極めて重大なり

要求
1.総領事の陳謝
2.犯人の逮捕厳罰
3.被害者に対する充分なる賠償
4.将来の保障

まず当然の要求であるし、ほとんど日本人僧侶襲撃事件に関して、21日の村井倉松総領事が中国側に要求した内容と同じでもある。
*2しかしこの要求は本国政府からの訓令もあって、一切容認されないことになる(1月24日の訓令)。
呉鉄城市長はこの時点ではまだ、21日の日本海軍塩沢幸一少将の声明*3を単なる恫喝だと考えていた。

南京国民政府の状況

前日の1月21日に汪精衛が南京入りしたのに続き、蒋介石もこの日南京入りした。行政院長の孫科は日本の強硬姿勢に対してどのように対応するか悩んでいた。片腕である外交部長の陳友仁は、対日国交断絶、対日宣戦を主張しているが、中央軍を握る蒋介石は対日国交断絶には反対の論陣を「上海時事新報」で展開している*4
当時、武漢南岸に中共軍が迫っていたことも孫科行政院長を悩ませた要因である。日本と中共軍を同時に相手にすることは困難であったし、中共軍との妥協は欧米諸外国との関係を悪化させる可能性があった。

アメリカ政府・イギリス政府

スチムソン国務長官は上海で戦争となった場合、日本軍が長江を封鎖することを恐れていた。対中国貿易が途絶されるからである。スチムソンとしては、抵抗手段としてのボイコット・排日貨運動は認めてもよいが、戦争となる事態は避けることを孫科内閣に望んでいた。
一方、イギリス政府は抵抗手段としてのボイコット・排日貨運動も認めないという立場だった。
米英双方ともに共通するのは、満州事変で蒋介石がとったような国際連盟への訴えを行い対日戦を避けることを中国側に望んでいる点である。

*1:満州事変」臼井勝美、P153,154

*2:アジア歴史資料センター外務省記録「2.上海/1 昭和6年10月から昭和7年3月」レファレンスコード B02030234100

*3:http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20101122/1290446781

*4:満州事変」臼井勝美、P155