第十九話 崑崙関の圧勝を公布

第十九話 崑崙関の圧勝を公布

2014-09-27 16:56:51
 国家檔案局が9月12日『血を浴びて戦うーー中国の抗日戦争に関する檔案』第十九回:崑崙関の圧勝をその公式サイトに発表した。
 第十九回の説明によると、1939年11月、中国海外交通補給線を断ち切るために、日本軍第5師団及び台湾駐在混成旅団が広西省の北部湾龍港から上陸し、24日に南寧を攻撃して占領した。12月4日、日本軍が崑崙関を占領した。
 戦略要地である崑崙関を奪還するために、桂林野戦司令部主任白崇禧が9個軍の兵力を集中し、それぞれ北、東、西の三路から出撃した。第38集団が所属していた第5軍と第99軍が北路軍として崑崙関の正面及び側背から攻撃し、第26集団軍が東路軍として鬱江南岸及び邕欽路両側から日本軍の後方を襲撃して、それらの交通輸送を破壊し、第16集団軍は西路軍として高峰隘に攻撃して、日本軍を牽制する。
 12月18日、北路第5軍機械化部隊が崑崙関に向けて反撃を行い、各拠点で日本軍と激しい争奪を展開してから軍を派遣し、日本軍の退路を切断した。東と西の両路軍は両面から策応した。繰り返し続けた争奪を経て、31日に中国軍隊は第3回崑崙関を攻め落として、敵の大半を殲滅し、崑崙関で圧勝した。
 今回の戦役は中国軍隊が日本軍に対する成功的正面攻撃戦であり、日本軍のエースに当たる第5師団を強く押さえ、第21旅団に殲滅性の打撃を与え、旅団長中村正雄少将、連隊長三木吉之助大佐及びその下の官兵4000人余を射殺し、民心と士気を強く奮わせた。【新華社北京9月12日】

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/27/141s227143.htm