民国日報に記載された三友実業社襲撃事件
二〇日の朝、日本人のいわゆる浪人七〇人余りが先導し、その後から陸軍のタンク四輌が三友工場に向った。途中、制止しようとした公共租界中国人巡査田潤生を殺害した。また通報しようとした中国人巡査朱伍蘭の頭部を刺し、手指を断ち切った。さらに駐在所にいた中国人巡査陳勝微を続けざまに四刀突き、他二人の警官に重傷を負わせた。その後、日本軍と浪人らは三友実業社に着くとガソリンを撒き、手榴弾を爆発させて全工場を焼き払ってしまった。このため工場の機械設備、及び綿糸などが大量に消失し、被害は一万元近くにもなったのである(「民国日報」1932年1月21日)
三友実業社を襲撃した日本人右翼団体は約30人で、日本陸軍のタンクが参加したという記録はない。さらに日本陸海軍の現役軍人が参加したというのも明確な証拠はない*2。
しかしながら、公共租界警察の中国人巡査が、三友実業社襲撃犯に襲われ1名死亡、4名負傷に至った事は日本側記録にも残っている*3。
また、三友実業社が放火されたことも事実である。
事件の推移や詳細部分に問題はあるし、日本軍の組織的関与かのような記述は勇み足と言えるが*4、事件そのものについては正確に報じていると言える。