浜松事件に関する国会報告(1948年5月6日)

概要

1948年4月に静岡県浜松市で日本人系暴力団(小野組:小野近義)と朝鮮人暴力団朝鮮人連盟浜松支部:委員長李季白)の間で起きた騒擾事件。
事件は4月4日と4月5日の二度発生している。なお小野組組長の小野近義は当時、静岡県県会議員であった。

浜松事件の経緯

1948年4月4日、朝鮮人主催のパーティに対して小野組側が楽士派遣を妨害するなどして朝鮮人側を挑発。朝鮮人側は4月4日17時、小野組(小野興業社)に殴りこみ器物破損事件を起こす。その後、旭町国際マーケット付近に集まった朝鮮人らは22時になって小野組配下の香具師宅に殴りこむが、この騒動が拡大し双方人数を増やして騒擾事件となった。この衝突で朝鮮人1名が死亡している。しかし、この衝突は22時から22時45分までのわずか45分間に過ぎず、警察の介入によって鎮圧されている。
4月4日の2度目の襲撃がなぜ行われたかの明確な理由については考察された資料が見当たらない。
4月5日の衝突は、19時20分の小野近義宅への発砲が契機となった。その10分後の19時30分には小野組による国際マーケットと朝鮮人経営の金泉館に対する攻撃が開始されており、19時20分の発砲が朝鮮人側の手によるものかには疑問が残る。
4月5日の衝突は、21時40分になっても朝鮮人経営の明月旅館が襲撃されるなど、朝鮮人側が小野組に蹂躙される形で推移したが、準備していたはずの警察の対応は鈍く、鎮圧されたのは23時30分になってからである。
この事件により4月6日までに検挙されたのは6名。

国会報告

衆議院は国会決議に基づき、浜松事件の調査団を派遣した。調査団は坂東幸太郎(自由党衆議院北海道2区)、門司亮(社会党衆議院神奈川1区)、千賀康治(民主党衆議院愛知4区)の3名。調査は4月20日から21日にかけて行われている。聴取対象となったのは、浜松市長の坂田啓造(初の公選市長。警察官僚出身)、浜松市公安委員会委員長の広田及び公安委員、浜松市警察署長の斉藤ほか関係各位15名、在日朝鮮人連盟静岡県本部委員長の李季白ほか2名、小野組組長であり静岡県県会議員の小野近義ほか1名、その他、在浜松の新聞記者団と静岡県警察長の加藤。
坂田浜松市長は公選市長ではあるが警察官僚出身であることから当事者と記者団以外の聴取対象者は、全て警察関係者と言える。また、一方の当事者である小野近義は県議会議員であり、この後1950年6月から県議会副議長を1957年6月から県議会議長を務める有力者であった*1
これらを踏まえると、調査自体が公平だったか否かという点で疑問が残る。ただし、調査団の一人である門司亮が在日朝鮮人らに対しては同情的で鶴見区朝鮮学校開設に協力している点も考慮はすべきだろう。

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第002回国会 治安及び地方制度委員会 第27号
昭和二十三年五月六日(木曜日)
    午前十一時三十三分開議
(省略)
 午後二時五分開議
○坂東委員長 休憩前に引続いて会議を開きます。
 日程に入るに先だちまして報告事項があります。それは浜松騒擾事件につきまして、過日委員派遣を請求いたしましたところ、当時は都合により留保となつておりましたけれども、わが委員会はこれを十分知る必要がありますので、坂東委員長、門司理事、千賀委員の三人が出張して調べました。その調査に崎川書記が一緒に参つておりましたから、崎川書記より代つて報告の朗読をいたさせます。
    〔書記朗読〕
 浜松事件の調査報告をいたします。
 終戰後の顯著な動向として敗戰の結果、いわば國家全体が一つのわくの中に置かれ、さらに民主化の進行とともに國家の統制力が弱まり、かくて國家による法的統制の裏側を一行く諸集團すなはちテキヤ博徒團体、不良青少年團等々の横行跋扈を見るに至つたことは周知の通りであります。しかしてその集約的事例が先般浜松に発生せる日鮮人間の騒擾事件でありまして、浜松事件は、一部日本人対一部朝鮮人の單純なる私闘にあらずして、日本の社会秩序を正しく健全に組み立て直す上において、その根本にかかわる重大問題であります。さらに、本騒擾事件は警察法施行後における大規模な集団闘争事犯として國家、自治両警察間の連絡共助その他両警察の運用上幾多の課題と貴重な示唆を與えられるところ多かりしものであります。
 ここに、本委員会は、事の重大性に基き、調査團派遣の決議をなしたのであります、坂東委員長、門司理事、千賀委員は崎川書記を帶同し二十日現地に到着、翌二十一日午前、午後にわたり、新警察法の運営状況を中心として詳細なる調査を試みました。二十日は簡單なる予備的懇談に終り、二十一日は午前から午後二時にかけて坂田濱松市長、市公安委員長廣田氏ほか公安委員、齋藤浜松市警察署長ほか関係各位十五名と隔意なき懇談を遂げ、同二時半、要請により調査團は在日朝鮮人連盟静岡縣本部委員長李季白氏ほか二名と会見し続いて元小野組々長縣議小野近義氏ほか一名と会見し事情を聽取しました。さらに在浜松新聞記者團の要望に基き、縣加藤警察長をまじえ、本事件に対する記者各團位の忌憚なき所見を聽取しました。
 さて以上の調査を通じて得られた事件の外貌並びに警察措置は次のごとくであります。
 事件発生の原因でありますが、まず遠因について述べますと、かねてより浜松市内においては、いわゆる暴力團と目さるる元小野組に対し一部朝鮮人の勢力、急激に増加し、相対立していた模様で、その間にあつて元小野組親分小野近義氏は、数回にわたり朝鮮人対日本人のけんかの仲裁をなしたが、これが結果はいずれも朝鮮人側の不満を買つておりました。また一般市民においては、終戰後とみに激増せる一部朝鮮人の横暴に対しては、恐怖の念を抱く者、あるいは復讐の念を企つる者があり、結局両者の勢力争いに基因して本事件は惹起したものと認められます。
 近因といたしましては、四月四日朝鮮人主催により開催したダンス・パテイに、元小野組子分たりし楽土が欠勤し、ためにパーテイは流会のやむなきに至つたのでありますが、朝鮮人側はこれを小野組親分小野近義氏の妨害によるものと誤解し、激興の結果、同日午後五時ごろ市内鍛冶町百四十一番地小野興業社社長縣議小野近義氏方に朝鮮人新村隆夫外数名が乱入し、同店舗ウインド・ガラスその他家屋内器物を損壊するの暴挙により本事件が発生したもであります。
 事件の概要は、第一回、当日四月四日、前記小野方を引き揚げた朝鮮人側は、浜松市旭町國際マーケツト(責任者 呉判述)附近に集結し、午後十時ごろ同市大工町元小野組輩下香具師本宮末吉方へ朝鮮人金彰石ほか六名が拳銃を擬して、乱入、同家及びその器物を破壊するに至り、小野組子分も猟銃をもつてこれに対抗し、双方次第に人員を増進し、遂におのおの約五十名くらいが市内田町、鍛冶町、傳馬町の各中心街において相互に発砲乱闘するに至つたものであります。この事件において、朝鮮人側は一名の被害者を出しております。
 第二回目は、第一回乱闘事件は警察官の出動により四月四日午後十時四十五分ごろ一應鎮静に帰したのでありますが、翌五日午後五時ごろ、双方とも各地より應援者來浜し、再び不穏の状態に立ち至り、午後七時二十分ごろ、朝鮮人側数名が小野近義氏方に至り拳銃を発射したため、これを契機に双方おのおの約二百名くらいが同市内千歳町、旭町、鍛冶町、田町その他市内中心街各所において発砲撃ち合いをなすとともに、建造物、器物等を破壊するに至つたのであります。
 これに対する警察措置について申し上げますと、第一回、所轄濱松市警察署においては第一回四月四日夜の事件発生と同時に甲号非常召集を発令し、全署員を召集し、浜名地区警察署に應援を要請し、武装警察官五十名を乱闘現場に急派して拳銃の威嚇発射により事件の鎮圧につとめたのであります。午後十時四十分ごろ一應鎮静せしめることを得たのでありますが、同夜は暗夜のため被疑者はいずれも逃走し一名も逮補するに至りませんでした。該事件の銀座及び搜査に出動した警察官は、浜松市警察署員百六十名、浜名地区警察署長三十五名であります。
 浜松市警察署においては、状況なお險惡化を慮り、朝鮮人連盟浜松支部委員長李季白及び元小野組責任者に対し警告を発し、かつ嚴重警戒に努めました。
 第二回。翌五日午後五時ごろに至り沼津、熱海、名古屋、豊橋その他各地より双方來援者の集結されつつあるとの情報を得て、再び險惡化したため、濱松市警察署においては全署員を召集し、各要所に急派して拳銃その他戎凶器の檢問を開始するとともに、警戒員及び情報收集係を各所に派遣中、再び発砲による乱闘が開始されるに至つたであります。浜松警察署においてはさらに浜名地区警察署に対し、應援方を要請し、これが鎮圧と檢挙に努めた結果、午後十一時三十分ごろに至りようやく鎮静したが、同日より翌六日早朝までの間に六名の容疑表を檢挙いたしました。
 該事件の鎮圧及び搜査に出動した警察官は、濱松市警察署百六十名、浜名地区警察署三十五名、縣加藤警察長及び縣本部人事装備、搜査、警備各課は、事件の重大性に鑑み、六日午前二時ごろ濱松市警察署に至り、浜松市公安委員会及び濱松市警察署長、浜名地区警察署長等とともにこれが対策を緊急協議の結果、警備警察官應援派遣計画を樹立するとともに、警備取締本部を設置し、國家地方警察静岡縣各課を初め、各署より同日午後一時ごろ百十名の警察官の派遣をなし、合計約三百名の警察官をもつて嚴重なる警戒取締りと家宅搜査実施の結果、漸次平静に復帰するに至つたものであります。
 この事件に対し連合軍部隊が出動しております、六日午後九時二十分には岐阜二十四連隊カーナー少佐以下百七十二名が來浜、警戒に当りましてたが、事態平穏となつたので、一部三十五名を残して帰隊いたしました。さて本事件の発端より終末に至るまでの過程を観察して見まするに、左記の諸点に対する反省と考慮が必要と考えられるのであります。
 その第一といたしまし、新警察制度の実施に伴い通報連絡並びに應援要求において自治体相互間に援助要求をなし得る法的の根拠なきため、幾多の困難が発生したこと。
 第二に、警察がこの種暴力團、不良徒輩の取締りに対し、十分なる執行力をもち得なかつたこと。そのよつて來るゆえんとしては、警察力が貧困であり、武装化せる暴徒の集團を鎮圧するに足る人と武器その他機動力を有しなかつたこと。
 なお参考までに申し上げますと、静岡縣におきましては國家警察十四、自治体警察六十一、計七十五の小警察署にわかれておりまして、一署平均警察官は三十数人であります。國家地方警察は、総員七百四十四名で、縣下十四の警察及び本部に分散しておりまして警察力の急速なる統合が非常に困難な状態におかれております。なお武器について申し上げますと、拳銃は四百十二挺でありまして、大体六人に対し一挺の割合でありますけれども、これはただいま申し上げました七十五の警察署に分散しております。從つて、この事件に対し必要なる武器を僅少なる時間に整備いたしますことは非常に困難な状態にあります。次に静岡縣における拂下げジープはどうかと言へば十台でありまして、浜松市には國家地方警察浜名地区に一台あるだけであります。
 第三に、警察官の新警察法に対する理解の不足に基く取締りに対する消極性。第四に、國民の新警察法に対する認識の不足による警察への非協力、第五に、朝鮮人の取締りに際しては、日本の裁判権行使がなし得るにもかかわらず、いわゆる第三國人視してその執行に適切を欠いたこと。第六に、警察官の執行力の弱体化については待遇その他の問題がありますが、地方財政法の施行が遅れているため、すべてのことが臨時的措置たらざるを得ないこと第七に、樺山警備部長の言に反し公安委員会は五日午前九時開会していること。第八に、都道府縣としての非常事態宣言の規定を要望する陳情があつたこと。以上の諸点であります。
 報告を終ります。
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/1336/main.html