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第一期晋中作戦(独立混成第四旅団・独立混成第九旅団)における原討伐隊の被害

一軍作命甲第二五五号
  第一軍命令   八月二十六日二十時十分 太原軍司令部
一、石太線南方地区ノ敵第一二九師主力ハ全面的ニ退却ノ兆アリ
二、軍ハ該敵ヲ捕捉撃滅セントス
三、独立混成第四旅団長ハ歩兵約一大隊基幹部隊ヲ以テ治西村(平定西南六粁)―上龍泉(同上西南々十六粁)―松塔鎮(同上西南々十六粁)道及昔陽―沾尚鎮(同上西微北二十粁)―宣銅舗(同上西微北十四粁)―松塔鎮道ヲ歩兵約二大隊半基幹部隊ヲ以テ和順―紫羅村(同上西方十粁)―西五泉(同上西北十粁)―安豊鎮(同上北十粁)―横嶺村(同上西微北九粁)道團壁(和順西方九粁)―盛家庄(同上西北十四粁)―馬坊鎮道、石匣村(遼県西々北八粁)―長城鎮(同上西北十一粁)―油房溝(同上北々西二十粁)―馬坊鎮道及楡社―孔家庄(同上北々東十八粁)―温泉村(同上北微東十二粁)―油房溝(同上東北七粁)―馬坊鎮道ニ沿フ地区ヲ夫々松塔鎮横嶺村及馬坊鎮附近ニ向ヒ前進シ所在ノ敵を索メテ撃滅スベシ
四、一軍作命甲第二四五号並ニ一軍作命甲第二五三号ニ基キ沁県ニ集結スベキ迫撃第五大隊並ニ第三十六師団ノ歩兵一大隊基幹部隊ハ沁県到着ト共ニ独立混成第四旅団長ノ指揮下ニ入ルベシ
五、独立混成第四旅団長ハ前項部隊ヲ指揮スベシ
六、独立混成第九旅団長ハ歩兵約一大隊基幹部隊ヲ以テ楊邑鎮(太谷東北九粁)―双峰鎮(楡社北微西十七粁)―儀城村(油房溝西方三粁)―外會溝(同上北十五粁)道ヲ歩兵約半大隊基幹部隊ヲ以テ范村鎮(楊邑鎮東北十二粁)―牛昌坪(同上東々南十粁)―猫児嶺(同上東北十一粁)外會溝(同上東方十粁)道ヲ又歩兵一大隊基幹部隊ヲ以テ長凝鎮(楡次東々南十二粁)―石坑塔(同上東南七粁)―潤郊鎮(同上東々南十二粁)―馬坊鎮道ニ沿フ地区ヲ夫々馬坊鎮及外會溝附近ニ向ヒ前進シ所在ノ敵ヲ索メテ撃滅スベシ
第三十六師団ノ歩兵一大隊半基幹部隊ハ楡次ニ於テ夫々其ノ指揮下ニ入ル
七、予ハ太原軍司令部ニ在リ
八、細部ニ関シテハ軍参謀長ヲシテ指示セシム
  第一軍司令官 篠塚義男

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C11111403800?IS_STYLE=default&IS_KIND=SimpleSummary&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KEY_S1=%E7%AC%AC%EF%BC%91%E6%9C%9F%E6%99%8B%E4%B8%AD%E4%BD%9C%E6%88%A6%E6%88%A6%E9%97%98%E8%A9%B3%E5%A0%B1&IS_LGC_S32=&IS_TAG_S32=&

独立混成第四旅団は陽泉に司令部を置き、八路軍(第129師)が潜む南方山岳地帯に対し、独立混成第九旅団、第36師団等と協力して討伐隊を反復投入し敵性村落は焼却するなどの儘滅作戦を行った。八路軍に大きな損害を与えたが、原討伐隊のように大きな損害を受けた部隊もあった。



大損害を受けた原討伐隊

寿陽から出発した原討伐隊(3個中隊規模、将校10、准士官以下349)は1940年9月7日11時、約2000の八路軍に包囲され激しい攻撃を受けている。片山旅団長は原田大隊長に二個中隊を与え寿陽から原討伐隊救援に派遣するが、原討伐隊が重囲を脱したのは9月9日7時半になってからである。
この戦闘で原討伐隊は、将校1名、准士官以下40名の戦死、将校4名、准士官以下40名の負傷、准士官以下4名の行方不明者を出している。
戦死率は、将校10%(1/10)、准士官以下11%(40/349)、死傷率は将校50%(5/10)、准士官以下23%(80/349)となっており、潰滅的な損害と言える。原討伐隊は馬についても39頭中36頭を失う大損害を出している。
原討伐隊は、救援に来た原田討伐隊に吸収されている(1940/9/9)*1