第二十七話 常徳の戦い

第二十七話 常徳の戦い

2014-10-05 14:50:32
 【新華社北京9月20日】国家檔案局が9月20日『血を浴びて戦うーー中国の抗日戦争に関する檔案』第二十七回:常徳の戦いをその公式サイトに発表した。
 第二十七回の説明によると、1943年11月の初め、中国侵略日本軍は中国の軍隊が雲南省への反撃を牽制するため、中国第六戦区及び第九戦区結合部となる常徳地区へ攻撃を開始した。旧日本軍第11軍は5つの師団及び日偽軍計10万人余りを糾合し、戦闘機130機余りを出動させ、横山勇司令官の指揮のもとで、中国の軍隊への進攻を始めた。中国守軍は第六、第九戦区の16軍43師の21万人、戦闘機100機余りを結集し、常徳市街及び周辺地域で敵軍に応戦した。
 11月3日、第七十四軍57師の余程万師長が部隊を率いて常徳市街地区に進軍し、市街全域の民衆を迅速に避難させ、防御設備を築き、日本軍との戦いに備えた。日本軍は飛行機と大砲を利用して、常徳守軍に猛烈な爆撃を加え、毒ガス弾、焼夷弾を投下し、また、無数の白刃突撃も発動した。日本軍の猛攻撃に対し、第57師の市街を守る官兵が必死に抵抗し、陣地に依頼して次々と狙撃し、敵軍と16日間にわたり昼も夜も苦戦した結果、全師の官兵9,000人余りのうち生還者は百人に足らずだった。12月3日、常徳は占領された。
 常徳保衛戦は、日本軍の戦略的攻撃を遅らせ、中国主力部隊が敵軍の包囲に反撃するために主導権を得た。常徳市街攻防戦の際に、20万人余りの中国軍隊が常徳周辺で10万人余りの日偽軍と激戦を繰り広げ、常徳への進軍を企んだ日本軍第13師団は、常徳西北で頑なに牽制した。12月9日、救援に駆けつけた第九戦区の4つの軍が日本軍を撃破し、常徳を一挙に奪回した。同時に、第六戦区で防御から攻撃に転じ、失った地域を奪回した。敵軍は元の位置まで撤退を迫られ、戦略的攻撃は実現しなかった。
 常徳の戦いは、正面戦場が大規模な範囲に及んだ戦いの一つであり、中国の抗日戦争、ひいては第二次世界大戦全体においても、一定の地位を持つ戦いと言える。

http://japanese.cri.cn/782/2014/10/05/145s227453.htm