第二十四話 中国遠征軍のビルマ作戦

第二十四話 中国遠征軍のビルマ作戦

2014-10-02 18:01:43
 ビルマ(1989年からは「ミャンマー」と称す)は中国・雲南省に隣接しており、第二次世界大戦中は英国の植民地だった。ビルマと中国・雲南省を結ぶ道路(「ビルマルート」。「ビルマロード」ともいう)は、戦時中の重要な国際通路で、大量の戦略物資がこの道路を通って中国抗日戦争の後方へと運ばれた。日本は太平洋戦争を発動する前から、この重要な戦略的通路を切断し、中国の抗戦の後方に揺さぶりをかけようと企てていた。
 1942年1月、日本軍はビルマに上陸し、ヤンゴンを攻撃した。2月には、イギリスが中国に軍隊を派遣し、ビルマに入って作戦に協力するよう求めた。3月8日、日本軍はヤンゴンを占領し、イギリス軍は敗退した。3月20日、日本軍はトングーを猛攻撃し、イギリス軍は危険極まりない状態となった。日本軍が兵力、装備とも優勢で且つ制空権を有する中で、中国は困難を克服し、優勢な部隊を派遣して遠征軍を編成し、ビルマ作戦を行い、日本軍と12日間戦い、敵5000人余りをせん滅し、トングーのイギリス軍の撤退を成功裏に掩護した。日本軍は次に北部のイェナンジョン(仁安羌)を侵犯し、イギリス軍の主力を包囲した。中国の遠征軍は救援に駆けつけて作戦し、捕虜にされていたイギリス軍7000人余りおよび米国人宣教師や記者など500人余りの救出に成功した。
 中国遠征軍によるビルマ作戦は半年かけて、1500キロ余りを転戦し、何度も日本軍を打ち負かし、イギリス軍に適時の効果的な救援を行った。特にトングーの防衛戦やイェナンジョンの窮状を打開する作戦では、日本軍に太平洋戦争開戦以来受けたことのない激しい抵抗に遭わせ、重大な代償を払わせた。これらの優れた戦例も西側(欧米の国々)の軍隊の中国軍に対する差別や偏見を変えさせ、中国軍の戦闘力と戦闘精神は世界の賛同を得た。
 中国遠征軍によるビルマ作戦は中国が世界反ファシズム同盟に加盟し、世界の反ファシズム戦争のために貢献したシンボル的な戦役だった。

http://japanese.cri.cn/782/2014/10/02/161s227409.htm