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第二十二話 百団大戦

第二十二話 百団大戦

2014-09-30 09:23:08
 1940年の夏、日本軍の「囚籠作戦」をつぶすため、敵後方の抗日軍民は雨季のうちに、日本軍に対する大規模な攻撃を行った。八路軍の作戦参加部隊が105個団(およそ20数万人)に達したことから、「百団大戦」と呼ばれる。
 8月20日夜、わが作戦部隊は一斉に攻撃を始め、大勢の日本軍と傀儡軍を殲滅させた。日本軍は防衛に間に合わず、大きなダメージを受けた。井ケイ炭鉱攻撃の戦いでは、中国軍の兵士が日本人の少女2人を救出した。晋察冀軍区司令官兼政治委員の聶栄臻氏は少女たちを気にかけ、専門の担当者を派遣して世話をし、日本軍の司令官に直接手紙を送り、中国軍の革命的・人道主義的立場を表明した後、少女らを日本軍の拠点に送った。このことは日本軍内部に大変な衝撃を与えた。
 9月20日から10月5日にかけて、中国軍は引き続き路線の両側の敵を襲撃し、管轄地区内に入り込んだ敵軍の拠点をつぶし、また楡社県の中心部を攻撃し、多くの武器を奪い取った。10月6日から、日本軍は強力な軍隊を集結させ、華北地域にある各抗日管轄地を対象に猛烈な報復「掃討」攻撃を仕掛けてきた。しかし、華北の管轄地点の住民と中国軍は反撃し、日本軍を相次いで撃退した。
 百団大戦では、大小合わせて1824回の戦闘があり、日本軍2万645人と傀儡軍5155人を殺傷し、日本軍281人と傀儡軍1万8407人を捕虜にし、日本軍47人と傀儡軍1845人が投降した。鉄道474キロ、道路1500キロ、橋・トンネル・駅260ヶ所あまりを破壊し、多くの敵軍のトーチカと拠点を破壊した。また、各種の大砲53台、各種の銃5900丁あまりを奪い取った。八路軍の死傷者数は1万7000人あまりに達し、決死隊第三縦隊の政治委員、董天知氏が尊い犠牲となった。
 百団大戦は、中国共産党の指導による抗日敵後方の中国軍と住民の名声と力を知らしめ、日本軍の兵力を牽制し、日本軍の中国南方への進軍を遅らせ、正面からぶつかりあう戦闘を支援し、情勢の好転に積極的な役割を果たした。それは全世界に中国共産党およびそれが率いた軍隊が日本の侵略に抵抗する大黒柱であり、抗日戦争の勝利を得るための重要な力であったことを物語っている。

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/30/181s227297.htm