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第二十話 北岳区冬季の反「掃討」の戦い

1939年 晋察冀辺区

第二十話 北岳区冬季の反「掃討」の戦い

2014-09-28 12:12:35
 1939年10月25日、日本軍は2万余りの兵力を集結させ、晋察冀の北岳区に向けて冬季の大「掃討」を行った。
 11月初め、晋察冀部隊は八路軍第120師の協力のもと、河北省涞源県雁宿崖、黄土嶺で待ち伏せ包囲せん滅戦を成功させ、2つの戦いで計1500人余りの敵部隊をせん滅した。
 11月7日の朝、敵の主力は黄土嶺より出発し、独立混成第二旅団長、阿部規秀中将の統率のもとで、谷間に沿って東へ移動し、午後3時に我が軍の待ち伏せ圏内に入った。我が軍は直ちに攻撃を始め、きわめて多くの敵を殺傷した。激戦の中で、我が軍の第一団は家屋の近くに敵が集まっているのを発見し、すぐに第一軍分区の砲兵連隊に迫撃砲でこれを襲撃するよう命じ、阿部規秀中将を射殺した。8日までに、我が軍は計900人余りの敵をせん滅した。これは中国の抗日戦争史上八路軍が射殺した日本軍の最高レベルの指揮官だった。
 11月中旬、日本軍は分進合撃(ぶんしんごうげき)戦術を講じ抗日根拠地の中心地にまっすぐ突進してきた。八路軍は冷静沈着に応戦し、43日間で大小合わせて108回の戦闘を経て、敵軍3600人余りを殺傷し、冬季の反「掃討」作戦は勝利に終わった。これは敵の兵力を消耗させただけでなく、敵に軽々しく少数の兵力で我が軍の根拠地の中心地に攻め入るとどうなるか分からせ、その気勢をそいだ。
 今回の反「掃討」作戦の中で、偉大な国際主義の戦士であるカナダ共産党員のベチューン医師は、八路軍の負傷者に応急手当を施す際に感染・中毒し、1939年11月12日に河北省唐県で不幸にも病死し、中国人民の解放のためにその貴重な命を捧げた。毛沢東の書いた『ベチューンを記念する』文章は、彼の国際主義共産主義の精神を高く称えている。

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/28/181s227193.htm