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第十四話 武漢会戦

第十四話 武漢会戦

2014-09-22 13:01:30
 1937年12月に南京が陥落した後、華中地区の重要な都市である武漢は中国の政治、軍事の中心地となった。1938年6月、中国の抵抗勢力を倒すため、日本の中国侵略軍は長江に沿って西へ向かい、武漢への攻撃を行った。中国軍武漢およびその周辺地域を中心に、日本侵略軍と大規模な会戦を展開した。
 日本側の武漢会戦に直接参加したのは第2軍と第11軍のあわせて9つの師団で、兵士25万人あまり、海軍および航空兵団の各種艦艇100隻あまり、飛行機400機あまりを投入した。中国側は第五、第九の二つの戦争区域に属する部隊が武漢の防衛に就いた。会戦に参加した陸軍部隊は合計14の集団軍と50の軍で、空軍は飛行機200機、海軍は艦艇30隻あまり、兵士は合わせて110万人近くを投入した。
 日本軍は長江の南北から兵力を分散させて、武漢に迫ってきた。中国軍は次々と抵抗し、江南の万家嶺地域で敵軍4つの連隊を殲滅させ、江北・田家鎮などの各地で、敵に大きなダメージを与えた。その後、日本軍は猛烈な反撃を開始し、南からの敵軍が岳陽を攻め落とし、武昌に迫った。北からの敵軍は信陽を攻め落とし、武勝関まで進み、中国軍に対して両面から挟み撃ちするという態勢を作った。中国軍は計画通りに平漢鉄道より西へ撤退し、10月25日に武漢を放棄した。
 武漢会戦は抗日戦争が始まってから、戦闘時間がもっとも長く、戦場が最も広く、規模が最も大きかった会戦だ。4ヵ月半にわたり、戦場は安徽省河南省江西省湖北省と広範囲に渡り、大小の戦闘合わせて数百回を経て、中国軍武漢からの撤退により終わりました。日本軍は武漢を占領したことで、戦線が長くなり、国力に限りがあったことから、中国に対する攻撃の勢いは極限に達し、戦略の性質が攻撃から対峙へと変わり始め、「速戦即決」という夢は徹底的に壊れていった。(殷、高橋敬)

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/22/161s226886.htm