第十話 神頭嶺戦闘

第十話 神頭嶺戦闘

2014-09-18 15:14:55
 1938年3月上旬、八路軍第129師が襄垣東南地区に突入した後、邯長路への襲撃を狙い、西部の敵軍に打撃を加えながら、山西省南西部にいる同盟軍を支援する作戦を実施した。
 邯長路は長治に侵入した日本軍が平漢鉄道から補給を得る重要な幹線道路で、線路上にある黎城は日本軍の重要な軍事基地だった。黎城と潞城の間は丘陵地帯で、待ち伏せに最適だった。第129師は黎城への奇襲を狙い、潞城にいる敵を誘導して、神頭嶺地区で敵軍に壊滅的な打撃を加える計画を立てた。3月16日午前4時、第769団第1営は黎城に突入し、100人余りの敵を殲滅した後、夜明けまでに自主的に撤退した。黎城が襲撃を受けたため、潞城にいる日本軍は歩兵と騎兵1500人余りを派遣して増援し、9時30分頃、神頭嶺陣地に入った。第386旅は突然敵陣に突入し、第771団は神頭嶺の北部から先頭に立ち敵軍を迎撃し、第772団と補充団は道路の両側から敵軍の退く道を遮断して襲った。突撃を受けた日本軍は混乱に陥り、多数の死傷者が出た。一部の残軍は神頭村に逃れ、家屋や窯洞に隠れながら抵抗した。午前11時13分、100人余りの残軍が潞城に逃走し、神頭嶺陣地に入った敵軍はほぼ全滅した。黎城と潞城から敵軍の増援部隊が来たものの、いずれも撃退された。神頭嶺戦闘で、第386旅は日本軍1500人余りを殲滅し、8人を捕虜としたほか、馬とラバ600頭余り、機関銃や手銃550丁以上を押収した。一方、八路軍にも240人余りの死傷者が出た。
 今回の戦闘において、八路軍は敵軍の情報を正しく掌握したうえで、待ち伏せの奇襲計画を立て、地形をうまく利用して待ち伏せの陣地を正確に選び偽装を徹底した。同時に、兵力の調達や配置において綿密な計画を練り、三面からの待ち伏せ戦略を講じて敵軍に突撃し全滅した。まさに速戦の効果を収めた。(09/18 Lin,)

http://japanese.cri.cn/782/2014/09/18/162s226659.htm