1944年3月時点の女子挺身隊結成・出動状況

区別     結成数 出動数
新卒挺身隊  121563 106275
旧卒挺身隊  23581 15510
地区別挺身隊 146966 79702
合計     292110 201487

出典「労働行政史」第1巻1122ページ
(女子挺身隊の記録、いのうえせつこ、P9)

(P10〜11)
「女子挺身隊」について、簡単にふりかえると、「女子挺身隊」は、戦争末期の一九四三(昭和一八)年九月二一日の次官会議決定、そして二三日告示の「女子勤労動員の促進に関する件」からスタートした。しかし、この女子挺身隊の制度は、当初、法律によって行われたのではなく、市町村長、町内会、村落会、婦人団体などの協力によって"遊休女子"をして、自主的に結成されたものである。"遊休女子"とは、「在学していない者」「軍需工場などで働いていない者」「結婚していない者」を指し、女性も社会へ、労働の場は、銃後の職場へと推奨したのである。
(略)
 この女子挺身隊の消極的な「自主的結成」は、成果がはかばかしくなく、翌一九四四(昭和一九)年三月に「女子挺身隊制度強化策要綱」が閣議決定され、六月には受入態勢の整備のための「女子挺身隊受入側措置要綱」が次官会議で決定された。
 そして、最終的に、女子挺身隊に法的根拠を与えるため、同年八月二三日勅令「女子挺身勤労令」が公布されたのである。