第一次山海関事件に関する「蒋介石秘録」の記述
第一回目の衝突は十月一日におきた。同日午後五時ごろ、「満州国」警察十数人が、「あやしい者が逃げ込んだ」と理由をつけて、山海関の東羅城へ押しかけてきた。中国軍の哨兵は城門を閉鎖して侵入を阻止した。
すると別動隊十人が南門から城内に乱入、東羅城の門を内側から開けて仲間を引き込み、東羅城門楼を占拠した。彼らはさらに山海関を象徴する城門「天下第一関」をも占拠しようとして、中国軍に発砲した。
この衝突で双方に一人ずつ死者が出た。
日本の山海関守備隊も銃声とともに行動を開始したが、何柱国と守備隊長・落合甚九郎(少佐)との直接交渉で、このときは「双方の誤解」ということで話がつき、死者に対してお互いに補償金を支払って片付いた。