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第一次山海関事件に関する「蒋介石秘録」の記述

1932年 山海関事件

 第一回目の衝突は十月一日におきた。同日午後五時ごろ、「満州国」警察十数人が、「あやしい者が逃げ込んだ」と理由をつけて、山海関の東羅城へ押しかけてきた。中国軍の哨兵は城門を閉鎖して侵入を阻止した。
 すると別動隊十人が南門から城内に乱入、東羅城の門を内側から開けて仲間を引き込み、東羅城門楼を占拠した。彼らはさらに山海関を象徴する城門「天下第一関」をも占拠しようとして、中国軍に発砲した。
 この衝突で双方に一人ずつ死者が出た。
 日本の山海関守備隊も銃声とともに行動を開始したが、何柱国と守備隊長・落合甚九郎(少佐)との直接交渉で、このときは「双方の誤解」ということで話がつき、死者に対してお互いに補償金を支払って片付いた。

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関連:児島襄による第一次山海関事件の記述 - 15年戦争史

*1:蒋介石秘録10 毛沢東の敗走」P56-57