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南京事件と第6師団に関連する新聞記事

1937年 南京事件

第6師団と言えば、南京事件当時の師団長谷寿夫は戦後、南京軍事法廷で有罪とされ死刑となっている。
実態としては、第16師団の関与の方が酷かったと言われ、谷はスケープゴートにされた感があるものの全く関与していないとは言い難いだろう。

軍都の風景2 南京大虐殺
2011年08月17日
  師団の関与 なお論争

  古びた従軍手帳に、その一文は記されていた。
  約三百補領ス 全部殺ス

  書いたのは、陸軍第六師団の騎兵隊伍長だった牧野信人。日中戦争が始まって間もない1937年12月、国民党政府の首都だった南京攻略戦での記述だ。「捕虜300人を受け取り、全員殺した」と解釈できる。

  39年5月、牧野は30歳で戦死。遺品の手帳は、故郷の山本村(現・熊本市植木町)に送られた。今は長男の久仁博(78)が風呂敷に包んで仏壇に納めている。

  熊本市を本拠にしていた第六師団は南京戦で、堅牢な城門の攻撃を担った。当時、師団がいわゆる「南京事件」に関与したか否かをめぐる論争は、70年以上経てなお続いている。

  日記は3月に出版された論文集「第六師団と軍都熊本」に掲載された。編集した熊本近代史研究会の事務局長、広島正(62)は「日記は不都合な事実を隠す検閲をかいくぐった貴重な史料」と評価する。

  広島は論文集に「南京事件と第六師団」という稿を寄せている。日本軍は戦時国際法を無視し、捕虜として扱うべき中国人敗残兵を銃や刀で殺害。軍紀の緩みもひどく、略奪や放火、強姦(ごう・かん)などを繰り返した。第六師団もその例外ではない――。これが、旧日本兵の日記や中国側の史料をもとに広島らが描く実相だ。

  ■   □

  久仁博は昨年12月、近代史研究会とともに県庁で記者会見を開き、手帳を公開した。「父が私に残してくれた遺産。後世に伝える義務がある」。そんな思いを込めたはずだった。

  だが、直後からネット上で批判が渦巻いた。「嬉々(き・き)として国を売る」「手帳が本物である証拠は?」

  元防衛大学校教授で、県郷友会常任理事の中垣秀夫(66)は「軍事の常識に照らし、騎兵が捕虜を預かるはずがない」と、この記述に疑問を投げかける。日本「南京」学会理事でもある中垣によれば、中国軍は武器を隠し持つなど市民に紛れていたため、日本兵が身を守るために誤って市民を殺害した可能性は否定しない。が、民間人も含め約30万人が惨殺されたという中国側の主張については、「市民を狙った組織的な虐殺は一切ない」と反論する。

  県郷友会は、第六師団が南京事件に関与していないと訴える集会を毎年続けている。一昨年は「百人斬り競争」の罪で、戦後になって処刑された元少尉2人の遺族を招いた。会長の中村達雄(86)は「師団や熊本の名誉のためにやっている」と語気を強める。

  行為、被害者数、証言や史料の評価……。事件をめぐる肯定派、否定派の主張は対立したままだ。そして広島も、中垣も異口同音に言い切る。

  「すでに議論の決着はついている」と。(敬称略)

  南京事件南京大虐殺) 1937年12月、旧日本軍が南京で捕虜や市民の殺害、略奪に及んだとされる事件。中国側は、戦後の「南京軍事法廷」の判決などをもとに「犠牲者は30万人」と主張。日本の研究者の間では「約4万〜20万人」の説が多数だが、「虐殺はない」との意見も。外務省は「殺害や略奪は否定できないが、被害者数の認定は困難」との公式見解を出している。

http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001108170003


「元防衛大学校教授で、県郷友会常任理事の中垣秀夫(66)は「軍事の常識に照らし、騎兵が捕虜を預かるはずがない」と、この記述に疑問を投げかける。」
中垣秀夫は、バリバリの否定論者による歴史修正主義団体である日本「南京」学会の理事である。こういう連中のいう「軍事の常識」は信用できない。