「蒋介石秘録」での浙贛作戦に関する記載

蒋介石秘録14 日本降伏」

報復と称し、中国に無差別爆撃
 浙江省に残る飛行場を占領するため、日本軍は上海に司令部をおく第十三軍を中心に、十万の兵力を杭州から奉化にかけて展開、五月十五日(一九四二年)。臨時省都の金華に向かって進撃をはじめた、彼らは大兵力と毒ガスを使用して五月二十八日、たちまち金華を占領、このあと六月末までに飛行場のある衢州、麗水、玉山なども失陥した。
 同時に日本軍は江西省南昌方面からも侵攻し、浙贛(浙江-江西)鉄路を奪った。
 この作戦で日本軍は、日本空襲の報復と称して徹底的な無差別爆撃と破壊を行い、中国人将兵と一般民衆二十五万余人を殺りくした。
 しかし、日本軍はすでに新たな占領地を維持する力を失っていた。わずか一ヵ月ちょっとで中国軍の反撃を受けて後退、八月末には、衢州、麗水などの飛行場が、中国軍の手に戻った。
 一方、日本の海軍が展開したミッドウェー作戦は、まさに“天下分け目”の決戦であった。
 ミッドウェーは、わずか直系約一〇キロの円形環礁だが、ハワイ―東京への中継ポイントとして航空基地、潜水艦基地、無線電信基地などが設けられていた。米海軍機動部隊が日本本土に接近するための重要な基地であり、また、日本軍が占領していたウェーキ島を直接攻撃できる唯一の基地でもあった。


空前絶後の大作戦
 日本の大本営は、太平洋における制海、制空権を確立しようと、かねてからミッドウェー基地と米海軍機動部隊を壊滅させるためのミッドウェー作戦を立案していたが、東京空襲後、日本の連合艦隊司令長官山本五十六はこの作戦を急きょ実行に移したのである。
 山本はこの作戦に連合艦隊の総力をあげ、艦艇三百五十隻のべ150万トン、航空機一千機、将兵十万人を投入した。日本軍にとっては空前絶後の大作戦であった。
 これにたいし、米太平洋艦隊司令長官ニミッツは、事前に日本海軍の暗号を解読、ホーネット、エンタープライズ、ヨークタウン等の空母を基幹とする機動部隊をミッドウェー付近の海上に配置、待ち伏せた。
 六月五日、日本海軍は、米海軍が待ち伏せていることを知らずに攻撃を開始、これにたいして、米海軍航空隊が果敢な攻撃に出た。この一戦で、日本の連合艦隊は「赤城」「加賀」「蒼竜」「飛竜」というトラの子の空母四隻を失うという大敗北を喫した。
『日寇は、江西、浙江で全力をあげて進攻した結果、いくつかの都市を占領することができたものの、最近のミッドウェーにおける損失をみると、赤城、加賀などの航空母艦はひとしく沈没、重傷を負った。日本の主力母艦のすべてがほとんど失われたわけである。これでは、浙江、江西の数都市を占領したとしても、損失の万分の一も償うことはできまい。これをみれば、日本が失敗するまで、それほど長く待つことはないであろう』(六月十六日の日記)
(42〜44頁)