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通州事件犠牲者の状況

1937年 通州事件 平津作戦

日本総領事館警察通州分署の事件直後の調査によると、1937年7月29日の通州事件における犠牲者は、内地人*1208人中114人死亡、鮮人*2213人中111人死亡、合計で225人が死亡している。
この他に、支那駐屯軍麾下の通州守備隊や憲兵隊があり、事件当時通州にあった120人中約30人が戦死している。

犠牲者の殺害場所

通州守備隊の戦死者約30名は、通州城内新城方面にある守備隊敷地で生じている。主として戦闘による死亡者である。

近水楼は虐殺場所として名前はよく知られているが、この近水楼内で殺された犠牲者は10名足らず、生き残った安藤利男ら11名は近水楼から城内北部の冀東政府関連施設に1時間ほど監禁された後、付近の城壁前の湿地で殺されている。この城内北部で殺されたのは、近水楼から連行された者の他、別の場所から連行された者、合わせて約70人程度である。

この他、通州城東門付近で殺されたという記録もある*3

東門の内側にある池には六十人の邦人死体が投棄され池の水を真っ赤に染め泥に塗れて男女の区別さえ付かぬ目を掩う惨憺たる有様である、身体の各所を青竜刀で抉られ可憐な子供、幼児迄も多数純真な魂を奪われているではないか、また東門の他の池にも二十九名の惨殺死体が抛り込まれ、これ等はいづれも縛られた儘でここ迄連れられ嬲り殺しに遭ったのだ、

http://yamakarashi.iza.ne.jp/blog/entry/660490/

これによると、通州城東門付近で合わせて約90人となる。



この他に、通州特務機関で約10人、領事館警察で約10人が死亡している。
近水楼(約10人)、北門付近(約70人)、東門付近(約90人)、通州特務機関(約10人)、領事館警察(約10人)の五ヶ所で約190人となり、残る30人程度は城内各所で殺害されたと見られる*4

通州特務機関内では、保安隊と特務機関員らとの間で戦闘があったことが証言されており*5、領事館警察でも手榴弾が使用された*6ことから戦闘があったらしい。通州特務機関・領事館警察での女性や子どもの被害は、戦闘の巻き添えとも言える。
近水楼での殺害に関しては、保安隊や学生たちが「日本人を出せ」と要求し押し問答の末に女中らが殺害されたと見られる。近水楼で捕まった安藤の証言からは、女中らが強姦されたような記述は伺えない*7

これらに対し北門や東門で殺害された合計150人以上については一時的に監禁しており、当初から殺害する意図があったとは考えにくい。北門での様子は安藤の証言があるが、殺害が実行されたのは逮捕後2時間ほど経ってからであり、保安隊が通州から撤退することを決めてからと類推できる。

上記五箇所以外での殺害は、通州の繁華街であった北大街、南大街、東大街、西大街沿いと城内北部の政府関連施設近辺及び新城南門付近で起きているが、全てあわせても犠牲者30人程度という状況から、軒数としては10軒程度であったろう。それでも平穏な市街地で、一度に数人が殺害されれば大事件であり、29日午前中に近水楼に伝えられた話は平時をベースにした”大事件”という表現であったと思われる。

誇張の可能性の高い萱島・桂・桜井証言

反中活動家の宮崎正弘は、東京裁判時の萱島*8証言や桂鎮雄*9証言、桜井文雄*10証言をベースに以下のように述べている。

 付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、五人の女店員は射殺されていた。食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、陰部には銃剣がさし込まれていた*11。他の場所には女の全裸死体が放置され、全員の陰部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ、カフェでも女店員が絞殺され、全裸のまま死体を放置してあった*12。或る店では女店員全員が強姦され、陰部に箸が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた*13。なかには死体から内臓がはみ出し、蝿がたかった現場もあった*14
 通州の高級割烹旅館だった「近水楼」では女中四人が射殺後に凌辱され、天井裏に隠れていた宿泊客十一人は北門付近まで数珠繋ぎにされて連行されたあと虐殺された。ことき同盟通信の安東利男記者が城外に転がり落ちて一命を取りとめ、北京まで這云の体で逃げた。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/tusyu_jiken_1.html

最後の近水楼の部分まで宮崎正弘記述を引用したが、実は「他の場所には女の全裸死体が放置され、全員の陰部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ」が桂鎮雄証言での近水楼の死体描写である。つまり宮崎正弘は近水楼に関する記述を重複させ水増しされている。
さらに桜井証言からの「或る店では女店員全員が強姦され、陰部に箸が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた」は「旭軒」のことであり、これも萱島証言と重複している。

萱島高、桂鎮雄、桜井文雄は共に支那駐屯歩兵第2連隊に所属していた軍人であり、同連隊は事件当時、通州から最も近い位置にいた。にも関らず通州への到着は7月30日午後4時になってからであり、冀東保安隊は既に北京西方に向けて撤退した後だった。この点において支那駐屯歩兵第2連隊はかなり手際が悪かったと言える。日本軍にとっては居留民の被害よりも通州にあった兵站部隊の損害(トラック10台以上、ガソリン、弾薬など)の方が大きかった。戦時中、通州事件での犠牲者の状況をことさら強調したことによって、日本軍内部の責任は曖昧になった。
戦後、南京大虐殺の事実が明らかになり、東京裁判で戦犯の訴追が始まると、”中国側が先にやった”と責任回避のため、通州事件の残虐性を再度誇張する必要があった。

萱島証言にあたる「付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、五人の女店員は射殺されていた。食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、陰部には銃剣がさし込まれていた」であるが、実はこれに該当する店は犠牲者名簿を見ても見当たらない。
つまり「男の子」と「五人の女店員」がいた店、「女店員八人」がいた「食堂・旭軒」が特定できない。そもそも店員だけで5人以上もいれば食堂としてはかなりの大店である。おそらく「五人の女店員」や「女店員八人」は売春婦を指すのであろう。
名簿からは、日本人経営の売春宿が「サロン通州」「カフェーXX*15」など5軒、朝鮮人経営の売春宿が4軒ほどあるのがわかる。しかし、店員数は多くても6人程度であり「女店員八人」の「食堂・旭軒」は特定できない。

さらに寺平忠輔の「盧溝橋事件」によると、旭食堂ではマダムと女給4人、男の子が殺されていたとある。つまり。萱嶋証言にあたる「付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、五人の女店員は射殺されていた。食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、陰部には銃剣がさし込まれていた」は同じ旭軒のことを指している。宮崎正弘は同じ家での虐殺をここでも重複して記載している。悪質と言う他ない。

実際には多くの日本人・朝鮮人住民は北門や東門に連行されて殺害されており、屋内で10人殺された近水楼が例外的な事例で、他はせいぜい数軒に一軒の割合で連行時に2〜3人が殺害されたものと思われる。29日の保安隊と守備隊の戦闘は城内で行われており、多くの中国人住民も城外に避難するか家に閉じこもっていたと思われ、路上で殺された死体は30日に支那駐屯歩兵第2連隊が到着するまでそのままだったのだろう。

混乱している「旭軒」の被害状況

以下は歴史修正主義者の東中野修道南京虐殺の徹底検証」に記載されている東京裁判時の証言である。

萱島証言)
旭軒とか云う飲食店を見ました。そこには40から17,8歳までの女7,8人は皆強姦され射殺されておりました。そのうち4,5名は陰部を銃剣で突刺されていました。

http://poseidon.blog.ocn.ne.jp/blog/2007/05/post_74f5.html

(桜井証言)
旭軒と云ふ飲食店に入りますと、そこに居りました七八名の女は全部裸体にされ、強姦射(刺)殺されて居りまして、陰部に箒を押込んである者、口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等、全く見るに堪へませんでした

http://poseidon.blog.ocn.ne.jp/blog/2007/05/post_74f5.html

一方、以下は寺平「盧溝橋事件」の記載である*16。同書は、通州事件に関し、かなりの紙面を割いている。7月30日午後に望月少尉の率いる偵察隊による偵察の結果として以下の記載である。

 偵察隊は続いて旭食堂に向った。ネオンの光、緑酒の香りも今すでになく、窓際にはマダムの死体が無残な有様となって横たわっていた。蝿が一杯たかっている。さらに一歩、足を踏み込むと、四人の女給、それに三歳ぐらいの男の子が、銃剣で、あるいは拳銃で殺されており、ことに子供は逆さに振って、頭を壁にたたきつけて殺された痕跡が歴然としている。すべてが着物はもちろん下着まではぎ取られてしまっている。子犬と猫とが死体の間をじゃれ跳んでいるのが、いっそう鬼気をさそう。

寺平説の旭軒も名簿上ははっきりしない。女給4人と男児死亡という組み合わせが見当たらない*17が、近所の男児であると考えることもできなくはない。萱嶋・桜井説は、7〜8名の女給という条件を満たす事例が存在しない。記憶の混乱と言うには、両名とも同じ内容である事からありえず、裁判に備えて口裏を合わせたような印象を受ける。

萱嶋説と桜井説でも、殺し方に差異がある。残虐性を強調しようと創作した可能性が高いと言える。


*1:つまり日本人

*2:朝鮮人のこと。当時、朝鮮は日本に併合されていたため国籍としては日本人。しかし、この記録にも見られるように、事あるごとに、日本人と朝鮮人は分けて扱われていた。この差別根拠の一つは本籍地であり、内地内や朝鮮内での本籍地の移転は自由だったが、朝鮮から日本への本籍地移動はできなかった。

*3:1937年8月4日の朝日新聞記事に掲載された生存者・緒方一策の体験談によるが、人数の正確さは不明。

*4:但し、領事館警察作成の名簿では225人の犠牲者中に城外居住者も数名含まれている。

*5:緒方一策の証言。http://yamakarashi.iza.ne.jp/blog/entry/660490/

*6:浜田巡査夫人の証言

*7:反中プロパガンダを専門とする宮崎正弘は保安隊員らが女中を殺害後に強姦したと主張しているが、信憑性は低い。

*8:事件当時、支那駐屯歩兵第2連隊長

*9:事件当時、支那駐屯歩兵第2連隊に属した陸軍中尉。戦後、盧溝橋事件の中共謀略説を展開したが、秦郁彦によって偽証だと指摘されている。http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html#katura

*10:事件当時、支那駐屯歩兵第2連隊小隊長

*11:この一文は萱島証言。

*12:ここは桂証言

*13:ここは桜井証言

*14:ここは桂証言

*15:判読不能

*16:同書P393

*17:女給が殺されたが、男児は助かったという事例はある。