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東北地方の国民党軍・共産党軍の対峙

岩村三千夫の「中国革命史」(青年出版社、1968年11月30日初版、1973年4月30日第2版)に以下の記載がある。

 ところが国民党は、四六年三月はじめにソ連軍が瀋陽*1から撤退すると、まっていたとばかりに瀋陽とその周辺を占領し、四月はじめまでに約二八万の大軍をいれ、そのごさらに増派した。しかも、それはすべて米式装備の機械化部隊であった。共産党の部隊も、これに対抗して四月にはソ連軍の撤退したあとのハルピン、長春を占領して、東北の北部をおさえた。五月には、国民党軍は瀋陽長春の中間の要衝である四平街*2で大攻勢にでて、四平街を中心に三三日にわたる攻防戦がおこなわれた。このときまだ、周恩来、張群、マーシャルを代表者とする停戦委員会は活動をつづけていたが、六月一四日には、アメリカ政府は「対華軍事援助法案」を通過させて、国民党の内戦政策をいちだんと支援した。

*3

四平街の攻防戦とは「保衛四平戦役」と呼ばれる戦闘を中心とした四平一帯の攻防戦である*4
1946年3月下旬に、国民党東北行轅主任熊式輝と保安司令長官杜聿明が5個軍団、11個師団を率いて四平への攻撃を開始し、5月下旬に増派された新六軍の協力で国民党軍が四平周辺から共産党軍を駆逐している。
この時、共産党軍(東北民主連軍)を指揮したのは、林彪であったが都市に拠った防衛戦で大きな損害を蒙ったと言う。

*1:旧・奉天

*2:現在の吉林省四平市。「四平街」は当時においても旧称だが、「四平街」という名は人々になじんでいたようである。

*3:同書P229

*4:「中国東北の戦後情勢 -国共内戦の帰結と鞍山の政治情勢-」松本俊郎、岡山大学経済学会雑誌31(1),1999, P19-61、P40