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上海駐在の日本海軍将校によるスパイ活動

1934年 中国 日本

平時においても駐在武官や駐留軍将兵らが、任地で諜報活動をするのは軍事的には普通のことである。1934年9月10月に中島中佐が行った虹橋飛行場の偵察活動も軍事的には当然の行動であるが、これは1937年8月9日の大山事件での大山中尉の行動を暗示してもいる。

龍華・虹橋飛行場視察報告
 出雲飛行長海軍少佐 中島傳
一 期日
 龍華 九月十日
 虹橋 九月十日、九月十一日

(略)

三 虹橋飛行場
本飛行場は空軍の管轄にして格納庫上に国旗を掲揚しあり
上海税関碼頭より自動車25分行程にあり
九月十日視察の時は正門迄自動車を乗りつけたる処衛兵に制止せられ入場不可能なりしを以て翌日は虹橋鎮にて車を捨て無帽ノーネクタイ上衣を脱し徒歩にて飛行場に赴き正門の手前より右に折れ飛行場を望見せるも詳細不明なり然れども大体視察し得たる点左の如し
尚本飛行場に関しては知人たる同文書院学生をして機会ある毎に調査せしむる予定なり

(イ)警戒厳重なり
(ロ)格納庫は相当大なるもの一棟あるも後方より望見せるため内容大きさ等不明なり
(ハ)事務所等は極めて小さし
(ニ)無線柱を認めず
(ホ)飛行場の面積不明なるも相当大面積にして手入れも良好なる如く見受けたり大型機の発着も容易なり
   附近は畑ゴルフリンクス等にて全然障害物なく容易に拡張し得べし
(ヘ)格納庫外に先日独逸より空輸し来たれる(所要日数七日)欧亜航空公司のユンカー機を認めたり

*1

車で正門まで行って衛兵に制止されたというのは、大山事件とも共通する内容である。また「無帽ノーネクタイ上衣を脱し」というのは、要するに便衣兵と同じであり、露見すれば問題になりかねない行動ではあるだろう。

さらに、飛行場周辺には畑やゴルフ場以外にほとんど何もないことも報告している。大山事件で、大山中尉がモニュメント路(碑坊路)(現・綏寧路)に行った目的は西部紡績工場地帯附近の視察だという日本海軍の主張は、全くのデタラメであったことを意味している。

虹橋飛行場視察報告
 出雲飛行長海軍少佐 中島傳
一 期日
 昭和九年十月十九日
二 前面の視察以外に視察し得たる点次の如し

飛行場南方畑中より望見せるを以て格納庫其の他全体を見渡すことを得たり
格納庫は一棟のみなるも40×60米の鉄骨鉄皮の新式大格納庫にして前面はコンクリート舗装をなしあり
扉の間より飛行機二機(機種不明)を認めたり
格納庫以外は上海事変爆破後急造せるバラックなり
飛行場入口左手民家を警備兵の宿舎に充てあり

*2

こちらは飛行場南方からの偵察。やはり周辺は畑や警備兵宿舎と言った状態で西部紡績工場地帯とは全く呼べないことがわかる。

*1:アジア歴史資料センター「出雲機密第33の22号 昭和9.11.11 中国飛行場視察報告の件」レファレンスコード:C05023611900

*2:アジア歴史資料センター「出雲機密第33の22号 昭和9.11.11 中国飛行場視察報告の件」レファレンスコード:C05023611900