上海大山事件関連の朝日新聞報道(1937年8月10日)1

朝日新聞は縮刷版を出しているので大きな図書館なら確認できるが、容易に手に入るものととしては「朝日新聞社編 朝日新聞に見る日本の歩み 破滅への軍国主義I(昭和12年-14年)」という抜粋版がある。縮刷版はまず貸し出し禁止だろうが、抜粋版は貸し出しできる*1

この抜粋版で、1937年8月9日に上海で発生した日本海軍大山勇夫中尉殺害事件について確認してみる。
基本的に日本側(総領事、海軍陸戦隊)の一方的な発表と日本メディアのやはり一方的な偏向報道による記述で、客観的な記述ではないことは一目瞭然である。いくつかの記事を並べても矛盾点があり、興味深い。

帝国海軍中尉・上海で射殺さる

暴戻!鬼畜の保安隊
 大挙包囲して乱射
  運転員の水兵も拉致
【上海特電九日発】日本海軍特別陸戦隊午後九時四十五分発表
 陸戦隊第一中隊長海軍中尉大山勇夫は一等水兵斉藤要蔵*2の運転せる自動車により本日午後五時頃上海共同租界越界路のモニュメント路(碑坊路)通行中、道路上にて多数の保安隊に包囲せられ次いで機銃、小銃等の射撃を受け無念にも数十発の弾丸を受けて即死した、現場を検視するに頭部腹部には蜂の巣の如くに弾痕があり自動車は前硝子が破壊せられ車体は数十発の機銃弾痕あり無法鬼畜の如き保安隊の行為を物語っている、右のモニュメント路は共同租界のエキステンション*3であり各国人の通行の自由のある所であるに拘らず支那側は最近上海の周囲に公然と土嚢地雷火鹿柴などの防御施設を構築し夜間は兵力を以て勝手に通行を禁止し昼間にても通行人に一々ピストルを突き付けて身体検査するなどは明かなる停戦協定無視なるのみならず、共同租界居住各国人に対する侮辱である、支那側の無法なる抗日の公然たる挑戦行為である、なお同自動車の運転員一等水兵斉藤要蔵は座席に多量の血痕を残せるままいずこにか拉致されたものの如くである、帝国海軍陸戦隊は厳重に支那側の不法に対する責任を問うと共に厳正なる態度を以て徹底的解決を期せんとす、なお同中尉は軍服であったことを付記する

単純な事実として、モニュメント路(碑坊路)(現・綏寧路)は越界路であり租界内ではなく、法的には中国側に主権がある。しかし過去のいきさつとして、越界路は租界工部局が建設しており、さらに電気や水道といったインフラも工部局主導で作られたため、道路やインフラを利用する住民に対して工部局が税金をとってきた経緯があり、さらに事実上の警察権も行使してきたのである。
ところが1920年代後半に中国が統一されナショナリズムが高揚すると、租界といった外国特権を回収しようとする動きが現れ、まず法的根拠のあやふやな越界路及び越界路周辺地域が問題となった。
1932年の第一次上海事変も、上海北部の越界路である北四川路周辺への日本海軍陸戦隊配備がきっかけとなって勃発している。
1934年ころには上海西部の越界路地域について工部局と中国との間で徴税関係の協定ができるが、警察権については確定しないままだった。大山事件が起こったのはまさに上海西部の越界路地域であり、しかも中国空軍管轄の軍専用空港であった虹橋飛行場目前の碑坊路(現・綏寧路)であった。

タイトルなし

【上海特電九日発】陸戦隊では九日午後十時大山中尉の死体引き取りに赴いたが同時に全員の非常警戒出動を命じた

現地へ急行

【上海特電九日発】大山中尉射殺事件により陸戦隊及び領事館警察では直ぐに虹橋路方面に調査官を派遣した

タイトルなし

【上海九日発同盟】大山中尉、斉藤水兵の遺骸引取りのため十日午前零時二十分海軍陸戦隊側より山内陸戦隊参謀、沖野武官、重村大尉、有馬軍医*4総領事館より服部副領事、蔵居書記生が支那側保安隊参謀一名を同行我が総領事館を出で現場に向かった

先の特電では、死体引き取りに赴いた時刻が午後十時だったのが、こちらの同盟電では0時20分になっている。

支那の不誠意 度し難し

戦時的配置を強化
【上海特電九日発】虹橋事件発生と共に支那側は自分の非を蔽い現場付近の戦備的配置を強化し殊に北停車場の西部にある共同租界支那側境界線は俄に土嚢を構築し多数の保安隊が守備の態勢をとり手榴弾を持つ偵察隊は全部待機を命じられトラック、バスを集結して居るなど極めて挑戦的不遜の態度を持して居る、一方市政府首脳部は事件発生と共に何ら陳謝の誠意を示さず
 然も現場には新聞通信記者及び写真版などの出入りを厳重拒否して居る、事件を闇に葬り去らんとしあらゆる点においてその不遜不誠意は許し難きものがある
わが方においては固より事件の不拡大を願い、誠意を以てこれが解決にあたらんとして居るに拘らずこの支那側の不誠意ぶりに会ってはいつ如何なる不測の状態を招来するやも知れぬ状態にあり事態はいよいよ重大化してきた。

これも先に陸戦隊「全員の非常警戒出動」を報じているにもかかわらず、中国側が待機集結していることは不遜だと非難する倒錯ぶりであるし、中国側の市政府が陳謝していないとも非難しているが、後の記事では9日午後10時に兪市長が岡本総領事を訪問し、謝意を表明したと書いている。紙面全体で整合性がまるでない酷いことになっている。

明かに計画的

【上海十日発同盟】支那側が事件を拡大せしめんとする意図ありと推察される点は左の如く上海四囲にて挑戦的体制をとりつつある。
一、北停車場に集結しつつある支那避難民を危険区域なりとして駆逐しつつあり。
一、事件現場付近に土嚢を構築し保安隊及び手榴弾を有する警察官を救援待機せしめている。
一、バスを集結して戦闘拡大の場合の兵力集中輸送に備えている。
一、虹橋付近に一個中隊の正規兵が駐屯しこれ等正規兵が日本軍人を射殺せりと確言宣伝していること。
一、事件発生の現場と見られる虹橋飛行場北方約そ百メートル附近は虹橋ゴルフリンク付近より飛行場に至る上海西郊一帯は忽ち武装保安隊による厳戒が加えられている。

これらの根拠は同盟記者による推察であろうが、どれも言いがかりでしかない。5年前の第一次上海事変の記憶があれば、北停車場付近が戦場になる可能性が高いことは容易にわかるし、1932年当時も満州事変が進行する中で上海で強硬な主張を行い戦闘を惹起した日本軍であると中国側は考えているのだから、備えをするのは当然であろう。

*1:近所の公立図書館では借りることが出来た

*2:実際は斉藤与蔵

*3:越界路、租界外拡張道路のこと。

*4:上海陸戦隊付有馬玄軍医少佐 1900-1990