新四軍の成立
新四軍は正式名称を国民革命軍陸軍新編第四軍という。長征前の中国共産党が本拠地としていた江西省近辺には紅軍系の遊撃隊が多数残存しており、日中戦争開戦後の1937年10月に国共両党はこれらの紅軍系遊撃隊その他を再編することで合意した。
対象となった地域は、江西省、福建省、広東省、湖南省、湖北省、河南省、浙江省、安徽省の八省である。広大な地域であるが、兵力規模は当時はわずか1万人程度に過ぎない。
顧祝同指揮の第三戦区の戦闘序列に組み込まれ、蘇北*1、皖南*2地区での遊撃戦を担当することとなった。
しかし1937年12月までは、軍長に葉挺、副軍長に項英、参謀長に張雲逸、政治部主任に袁国平を当てるなどの幹部人事が決まった程度で実質的にはまだ機能していない。漢口に新四軍司令部が出来るのが1937年12月25日であり、この時既に南京は陥落していた。司令部は1938年1月6日に南昌に移動し、さらに後、作戦地である安徽省南部(皖南)の歙県に移動する。
紅軍主体とは言え、軍長の葉挺が共産党員ではない点*3など形式的には中共軍ではない。このため、国共合作で認めた中共軍兵力3万の制限では対象外となったようだ。しかし新四軍の編成で中共軍だけが得したのかというとそうとは言えない。蒋介石にとっては八省に散らばっていた反国民党勢力を集めて日本軍にぶつけることができ、互いに潰しあってくれればこの上なかった。おそらく蒋介石の思惑としては、それまで地方軍閥をすりつぶし中央化してきた手法を新四軍と日本軍に適用しようとしたのだろう。