衡陽作戦における第116師団(嵐)の損害
1944年6月26日から8月8日*1まで続いた衡陽攻略戦は大陸打通作戦の一環として行われた。衡陽は中国・米国連合空軍の華中における最大の前進基地であった。
日本軍は当初、第68師団と第116師団のみで攻略できると考えていたが、中国軍第10軍の軍長方先覚は頑強に抵抗し、日本軍の損害が相次いだ。
日本軍は兵力を逐次投入し三次にわたる総攻撃の末、漸く衡陽を占領し方先覚を捕虜としたが、方先覚は後に逃亡し蒋介石の下に戻っている。
第116師団の衡陽作戦における損害は「歩兵第百三十三連隊 衡陽攻略の死闘」*2を参照した。
戦死 | 戦傷死 | 戦病死 | 死亡 | |
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師団司令部 | - | - | - | 14名 |
歩兵第109連隊 | - | - | - | 492名 |
歩兵第120連隊 | - | - | - | 1010名 |
歩兵第133連隊 | 563名 | 200名 | 506名 | 1269名 |
野砲兵第122連隊 | - | - | - | 252名 |
工兵第116連隊 | - | - | - | 147名 |
輜重兵第122連隊 | - | - | - | 122名 |
その他*3 | - | - | - | 163名 |
第116師団全体 | 1588名 | 461名 | 1420名 | 3469名 |
なお、歩兵第133連隊は1938年6月から1946年4月までの間に4538名が戦没している。その内訳は以下の通り。
第1大隊 | 1350名 |
第2大隊 | 1304名 |
第3大隊 | 1264名 |
その他*4 | 462名 |
不明 | 158名 |
合計 | 4538名 |
8年間の戦没者のうち約3分の1が衡陽攻略戦で失われたことになる。